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2006/07/23(日)
ドラえもんを見せに
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浦和の方に映像を見ていただくため、資料を確認する。手元にあった資料を、リックに詰めて持参することにする。 トーストで腹ごしらえして、「男は外に1度出ると何があるかわからないので、腹ごしらえをして出かける事」と子供の時から言われていた、母の教えを今も守っている。(このおかげでせっかくのご馳走を、食べられなかったことが、何度もあったが、食い物の恨みか、そのことで助かったことは忘れている。) 11時半原動機付き自転車(原チャリ)で出かける。秋瀬橋の道でゆっくり行くが12時半前には着いてしまう。(これも母の教えで「待たされるより待て」で早めに行って、周りの状況を見ておく)埼玉図書館にバイクを置き、2階で時間を潰す。 約束の1時電話連絡をして迎えに来てもらたが、奥様が健康を損なわれていて、迷惑をおかけしてしまった。4時前まで、映像をお見せでき、海のトリトンも好きだということで、話もできた。 浦和駅周辺中仙道がお祭りで、子供のときの思い出をたどり、裏道で実家へと向かったが、学校へ入る前一時辻村牛乳という、敷地内の小屋に住んだことがあったが、その前に出た。小屋のそばに立っていた、椎の木だけが、まだ立っていて、そこだと知れたが、周りはすっかり変わっていて、マンションなどが、建とうとしていた。3歳違いの弟がまだ赤ちゃんだったので、私は3〜4歳の頃だが、近くの長屋に、童謡歌手が住んでいたこと。火事があったこと、弟の赤ちゃんが泣いて困ったこと、木炭バスが朝エンジンをかけようとして、薪をくべ、もくもくと黒鉛を上げている、様子など、覚えている。ただ残った、椎の木を見ていたが、あの頃実をつけていたので、既に何年たっているのか、私が還暦を迎えたので、最低でも70年かずーとそこに立っていたんだ。 狭い昔の道をたどって、母の家に行き、軽い食事をしながら話をし、弟に電話して、パソコン関係で別に何もないということであったので、田島団地の道で帰路に着いた。5時前帰宅妻は出かけていた、買い物で遅くなった妻が帰宅、遅めの夕食少し疲れを感じ、自室で横になり、楽しみにしているロストを見て寝るが、頭が冴える。
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