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2006/06/27(火)
さようなら島方さん
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島方さん 手塚プロへ遊びに行くようになってから、島方さんにも、会いたいと常常言っていた、日曜にも、島方さんに、会いに行きたい、と、妻にも話していた、こう言うのを、虫が、知らせると言うのであろうか、またこのことを教えてくれたのは、小林準治君であったが、もし、彼に会うことがなかったら、神田君や、ほかの人たちの時と、同じように、知らないままで、後でまた、後悔したことであろう、手塚先生のお父さんの時も、たしか、知らせてくれたのは、きばぼ〜だったと思う。非常に、感謝している。告別式が始まる、10時までに鶴見へ行かなければならない。島方さんから、人を待っても、人を待たせるな、と言う教えを、受けていた。待ち合わせは15分前には、行っていなければ、島方さんに、怒られてしまう、いや、あの人の怒った顔が、思い出せない、怒ったことのない人だ、あの「弘文チャン事件」の時ぐらいか。ネットで検索して、京急線花月園前で降りて、近い所に、東福寺があることを調べる、家を、7時に出るので、6時半には、起きた。三鷹駅までバスで行った。電車は満員、サラリーマンは、毎日、こんなにも、大変だと、痛感する。新宿駅で、埼京線に乗り換え、大崎で山手線、品川で京急線へ乗り換え、とメモを書いておいたが、持ち物を減らそうと、おいてきた財布に入れてあった。東京駅は出れば、座れるかと、新宿では降りず、そのまま、同じ理由で、神田駅で山手線に乗り換え、品川京急線では、駅員さんに乗る電車を、尋ねる。花月園前駅を、降りたのが9時、案内の看板があり、ゆっくりと向かう。島方さんに頼まれ、大野豊さんと、やさしいライオンのフィルムをもって、講演に来た、幼稚園があった。子供たちが、元気に遊んでいる。昔の、人を疑うことの知らない、きらきらした、好奇心の塊の、あの昔の子供は、どこへ行ってしまったのであろうか?。東福寺の、石段を一段ずつ、ゆっくり上がっていく。9時半後ろに続く者はいない。左の、大きな銀杏の木の下で、しばらく待つことにする。島方さんが、亡くなったのだ、と言う実感が、少し少し、押し寄せてくる、10時、手塚真さんが、受付を済ます。続いて、受付を済ますと、葬儀が始まる、焼香をする、写真の人はだれ?年月の無常、最後のお別れ、花を入れて、別れを告げる。そして車を見送る。手塚プロの、松谷さんらと品川駅まで、一緒に帰る。
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