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2006/11/03(金)
杉並アニメーションミュージアムへ行く
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杉並アニメーションミュージアムで開かれた、手塚先生の 誕生日記念トークショー 「僕の手塚治虫」〜上海の手塚治虫−1988年・秋〜 へ行って来た。これは <手塚治虫先生が病をおして出かけられた最後の海外旅行の地、上海での知られざるエピソードをアニメーション界の豪華メンバーが語る。二度とない貴重な証言から、不世出のクリエーター手塚治虫の素顔に迫る!> 出席者は 川本喜八郎(人形アニメーション作家 人形美術家 日本アニメーション協会会長) 鈴木伸一 (杉並アニメーションミュージアム館長 日本アニメーション協会副会長) 松谷孝征 ((株)手塚プロダクション代表取締役 日本動画協会理事長) 南 正時 (鉄道写真家 日本アニメーション協会会員) 司会進行役 片山雅博 (多摩美術大学教授 日本アニメーション協会常任理事・事務局長) で13時30分から。 バイクで昼家を出た、気温がずいぶんと涼しくなった。早めについたので、視聴覚室で本を探し、前から読もうとしていた本、手塚先生の奥様、手塚悦子さんの「夫・手塚治虫とともに」がおいてあり、読み始めた、新婚旅行で先生が、下痢をしたくだりを呼んでいるころ受付開始のアナウンサーがあり、この次にはゆっくり読もうと会場へ入った。1時から受け付けて1時半からの開始、ふと、後ろを見ると、今読んでいた本の作者、奥様がいらしていた。虫プロの同窓会以来のご無沙汰であったので、ご挨拶を申し上げた。会の中では、松谷社長が1回だけ「後ろに先生の奥様も見えています」と言ったきりで紹介もなかった。終わって、すぐに奥様の横へ行き見守ったが、ゲストの人が、簡単に挨拶しただけ 松谷社長が言葉を交わしていた、がゲストのドアから控え室へ下がられた、奥様一人取り残されていたので言葉をかけ、「先生のお墓参りに行った帰りで、この会のことを知ったので、よった」と言うことであった、一般の人のドアから会場を出て、お帰りになるのですかと尋ねると「そうです」と答えられた、受付の人たちとは顔なじみらしく言葉をかけられていたので、階段で下へ降りバイクのそばで帰り支度をしていると、奥様が一人で玄関を出てきた。最後挨拶をして、誰かがついているのかと思ったら、まったくのお一人であった。交差点でバス停で待っている奥様を見かけた。 帰り道、次第に怒りがこみ上げてきた、なんと言う失礼な人たちなんだろうか、わざわざ立ち寄られたのに、お茶の一杯も差し上げないのであろうか、それにほっときぱなし、私の想定の範囲をはるかに超えた、礼儀を知らない行為ではないか。手塚先生の講演をしておきながら、わざわざお寄りになってくださった、先生の奥様に対する、態度であろうか。不義理をしている私が、そんなことを言う資格は無い、と言われるかもしれないが、とても許せる態度ではない。帰宅してからも、腹がたって仕方なく、当分続きそうである。 抗議のメールを出した
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