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2005/02/09(水)
手塚 治虫の命日
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昨日薬を飲むのをやめて様子を見た。アレルギーの症状も出ていない。グリーン接骨院へ行き治療を受ける。snowさんから8mmをDVDに変換していただいた、小包の不在表が郵便受けに入っているのに気が付き、次男に聞くが気が付かなかったと言う、電話で今日中に届くよう手配して、外を気にしながら出かけずに待つ。妻帰宅するも昨日からの風邪が悪化、長男の部屋で安静にする、食事はカップめん、夜お茶ずけ。息子たちはそれぞれコンビニで仕入れて帰宅して食べる。夕方小包届いて、早速懐かしい映像を見る、露出不足で見れなかった映像まで見られうれしかった。 今日2月9日は手塚 治虫の命日 平成元年のあの日は、自動車電装品整備の会社に入っていて野口橋の西武日産へ電装品取り付けの出向社員として働いていた、昼休み車の中で昼寝しているときに、ラジオのニュースで訃報を知った。すぐに片付けて、妻に電話して、手塚治虫の自宅へ行った。一方通行の道の右側の畑のところに車を駐車して、そのまま夜明け過ぎまですごした。泣き顔を家長として家族に見せたくなかったし、手塚治虫の家の近くに居て、手塚治虫に会えるのでは、とも思った、結果は現れてはくれなかったが。親友の吉村君と小林君から電話があったと、妻が知らせてくれた、密葬は12日と言うことであった。玄関横の石垣の上に報道陣が上って、あの大きな携帯電話の電波の状態を心配する声が聞こえていた、植えられたつつじが踏み荒らされるのではと、心配だった、帰ったのがいつだったかは覚えていない、12日には、長男が一緒に来てくれたことを覚えている。
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