|
2005/12/14(水)
柳久保小麦
|
|
|
トーストとコーヒーで朝食を済ませメールのチェックをすると昨夜9時半の日付けでメールを頂いていた。北海道の友人からでフィルムの件であったが、まだまだ来年になるだろうぐらいに思っていたので、びっくりした。すぐ返事を書いたが、昨夜は早く寝てしまいメールのチェックもしていなかったことに申し訳なく思った。 前に近くのパン屋さんへMXテレビが取材に来たが、そのときパン屋さんに何の取材か聞いたのだがいまいち判らなかった。今日の読売新聞の多摩版にそのことが載っていて内容がやっとわかった。「柳久保小麦」の話しで「柳久保小麦」は、1851年いまの、東久留米市柳窪の農家奥住又右衛門が、旅で持ち帰った一穂の麦を栽培したのが始まりと伝えられている。うどん粉や、農家の藁葺き屋根として利用されたが穂が高くて風雨に弱い事、収穫量も他の種類と比較すると少ない事などから1942年には栽培されなくなっていた。1988年奥住又右衛門の子孫の奥住和夫さん現在77歳が茨城県の農水省生物資源研究所に保存されていた約10グラムの種を使って柳久保小麦を復活させていた。東久留米市は地元発祥の小麦をブランド化させて地域産業の起爆剤にと東久留米農家に栽培を依頼して、今年は約3トンを収穫した。その小麦を使用して「柳久保饅頭」を販売しているのが東久留米市下里の和菓子店「むさし梅月」で、パンの販売として家の近くのパン屋さん「プチ・フール」が紹介されていた。 8時からノートパソコンでメールをチェックしながらテレビを見、12時寝る。
|
|
|