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2005/11/18(金)
エレキーバンドの思い出
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ファイルマンへの最後の画像を作る、メモに自分の気持ちを書いてみる、文章が長すぎてしまう。できる限り削って、日本テレビ動画のドラえもんのことを少しでも理解してもらいたい気持ちを書く。 そういえばおおはたさんのところを荒らした、あばら屋店長も、 厨房だった、IPアドレス「219.104.161.174」には注意していたが、まあ何時までも同じアドレスは使用してしないか?回ふと頭に浮かんでいたが、もういいことだ、終わりにしよう。 彼はMacromediaのソフトを手に入れようとしていた。私には使い切れない、Dreamweaver だのFlash,など、宝の持ち腐れ、若い人が使用すれば良いページが作れるのに、住所がわかれば送ろうかな、など思ったので、印象に残っていた。発禁ページの削除がされ始めているので、人ごと だと思って、楽しんでいる、仲間たちにも、もう、終わりにするように頼んだ。 夜眠ろう としても眠れない、「3丁目の夕日」状態、虫プロでバンドに入ったのがいつか?などはっきり思い出せない。 そして思い出に、のめりこんで行く、練習はお昼休み、毎日欠かさずよく練習したものだ。忙しかったのに、時間はどう作ったのか、若さゆえ、出来たのか? かなり五月蝿(うるさ)かったはず、雑誌の締め切りで作業をしている先生から、注意を受けたりした、先生のお母さんが来てくれたっけ、そしてお母さんは、我々バンドの1番の理解者になってくれた。水野英子さんの自宅を、練習場に使わせていただけるようになった時も、世話をしてくれたのはお母さん、一緒に練習を聞いてもくれていた。あんなにうるさかったのに。 ずいぶん色々な曲を、コピーした。テープにとって置けばよかった。結婚式や打ち上げパーティーは、必ず出た、それにクリスマスパーティー。まだ、ベースに変わる前、キーボードを担当していた頃、あるグループに前座を頼まれた。ゲストが横田の進駐軍のエレキーバンド、確か金持ちの連中が作っているバンドのクリスマスパーティー。「パー券」とかく売ったらしく新宿東の広い会場は満員だった。仕事が6時まで、速めに終わらせて車に楽器を載せ会場に着いたのが6時半近く、パーティーは始まっていた。 前座が居なくて仕方なく彼らが、演奏していた、かなり怒っていて、「いいから、かえれ!」と言われた。言い訳など聞かない、仕事?を受けてきたドラムの、ウッチャンが「かまわねえ、けんかになったら俺が責任取るセットしろ」といい、隅っこでアンプなどセットした。彼らの演奏が終了して、ゲストのバンドが演奏するまで、休憩が取られた。 その時間を利用して、わがバンドは、演奏を始めた、入りたてで、キーボードの経験の全くない私はなんとか弾けるようになったのは、「この胸のときめきや、」「サニー、」そして最後の演奏する「イエスタデー」他5,6曲 早いロックはまだ無理そこで出来ない曲は、ペタルで音量をオフにして、鍵盤をたたいて体全体で弾いている振りをするだけ、結果は会場を沸かせてしまい、止めさせようとする、主宰者を、来客者が妨害する。30分以上演奏し、終わると割れるような、拍手、これはもう気分最高、もう病み付き ゲストの基地のバンドの人たちからまで握手を求められた。パーティーが終わったあとで、主宰者の連中に呼ばれた。 そして握手を求められた、止めようとしたり、帰れと言った事をわびてくれた、気持ちの良い連中だった、断ったが、約束どおりのギャラで申し訳ないといって、2000円をくれた。もうバンドから抜けられなくなった。 どう考えてもおかしい、夜眠る時間が無いほど忙しかったはずなのに、お昼の練習を、サボった記憶がない。今考えれば絶対むり、あきらめるだろう。なんとか出来たのは、若さの特権なのだろうか。よく働きよく遊んだ青春時代。
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