日常の何気ない出来事を〜つれづれに〜
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2011/10/30(日) 富士山麓一周パノラマウオーク
須走浅間神社〜御胎内清宏園までの12.8キロ
心配してたお天気も何とか一日曇りながら持ってくれて美しい富士山を眺めながらの楽しいウオーキングが出来た。
山梨県側が終わってすでに76キロ歩いている。一周が140キロくらいと言うから約半分、今日は7回目いよいよ後半戦に入る。

須走浅間神社のスタート地点で待っていてくれたネイチャーガイドと合流してストレッチを丁寧に済ませた後10時半出発。

富士浅間神社の「富」の字がうかんむりの上にテンの無い「冨」になっている事の説明があった。
色々な説があるが「富」の字画が12画あることから奇数が良いとされていた時代で11画にする為の説。
富士山の頂上は平らだから上の点を取った説。
富士山の上に人が立っているのは神聖な山に良くないと取った説
など3つの理由があるそうだ。
何が正しいのかわからないが観光や一般的には「富」を用い信仰的なものや寺の案内等には
上の点ががない「冨」が用いられることになっているという。

そんな話を聞きながら神社の中を通って馬術スポーツセンターまで1時間半ぐらい歩く。
パノラマウオークでは今日が一番楽でアップダウンが少なくほぼ平坦な道を歩くという。
殆どが一般道でアスファルトの道だが大きな富士山がずっと見えているのでとても嬉しい。
御殿場市の馬術スポーツセンターでは今日明日と丁度乗馬フェスティバルの開催中で柵を越えたり走らせたりと
試合をしているのを見ながらの昼食。
中々こういう機会がないのでとても楽しかった。
ここはオリンピックの馬術の強化合宿所でもあるという。
大きな富士山と美しい馬たちとても気持ち良かった。

13:00出発 東富士の自衛隊の演習場の近くを通るので空砲が聞こえるかなと思ったけど特別に気にならない。
それより富士サーキットへ向かうすごい外車や高級車がいっぱい通って騒音がやかましい道を歩く。
しばらく歩いて桜公園 宝永山の噴火時の堆積層の断面がモニュメントで飾ってあり説明を受ける。
桜の木も多く駐車場もたくさんあって広々しているので桜の季節はさぞ混むだろうなと思う。
日曜日で家族連れのグループがたくさん芝生で遊んでいたがここは自衛隊員の家族が多くて
メタボの男性に会ったことがないとガイドが話していた。
訓練が行き届いているからとか・・・

ゴールの御胎内清宏園に到着は午後3時

御胎内温泉センターに入って4時半までゆっくりと休養して帰途につく。

いつも自分の見ている富士山は右側に宝永山の姿だけどここからみると左側に宝永山が見えるので何か不思議な感じ。
一年間で一周するとあらゆる角度からの富士が見えることになる。

2011/10/26(水) 龍爪山のツルリンドウ
今日も竜爪山に登る。
同じ山に何度も登っていると自分の体調がよくわかるので健康のバロメーターにしている。
コースタイムはここ数年変わらず神社まで一時間文殊岳まで一時間弱だが体調の良い時はとても短く感じられる。
今日は非常に快適に頂上まで到着。
薬師岳手前の胸突き八丁の階段が難なく登れた。いつもこの階段が難所で一息入れるのだが・・・

頂上で暖かいコーヒーを飲んですぐに戻る。

ツルリンドウの実が赤く可愛くいくつも見られ嬉しい。
この間の台風の爪痕の倒木が目立つ。

2011/10/20(木) 紅葉の九頭竜峡
石川県能美市から今日は福井県の勝山市にある苔寺で有名な平泉寺を訪れる。
平泉寺(白山神社)の境内は巨大な杉が立ち並び、幽玄な雰囲気

石段を登ると寛政7年(1795)に越前藩主松平重富公によって再建された総ケヤキの入母屋造。昇り竜や降り竜の丸彫り、
壁面の浮き彫りなどの彫刻も秀逸で、見ごたえがある。
こんな田舎には珍しい華麗な建築で、豊かな装飾性を求めた当時の建築様式だそうだ。
みずみずしい苔に見守られるようにひっそりと建つ簡素な建物。天平時代の風情を今に感じさせている。
でも今は古びて何の色彩もない雨風にさらされた木部がそのまま。でもそんな建物から昔を想像するって楽しい。

本殿を中心に、右に別山社、左に越南知社が配され、白山山頂の三山の神がそれぞれに祭られている。
泰澄大師が信仰の山として仰がれるようになった白山を開き、717年には白山の表参道として平泉寺を建立した。
正式には平泉寺白山神社という神社であり我が国の白山神社の総本山だそうだ。

鎌倉時代の初め兄頼朝に追われた源義経が奥州平泉に落ち延びる途中この平泉寺に詣でたことが
「義経記」に載っているということだが奥州の平泉とこの平泉寺と同じ平泉と書くのが何故かな?
つながりがあるのかななんて疑問に思ったが聞いてみなかったのが心残り。

参道は、その昔修行僧たちが九頭竜川の河原から手で運び上げられたと言われる石畳で
「日本の道百選」に選ばれているという。
国内最大の中世石畳の道のほか、石垣も多く残され日本の本格的な石垣は安土城が
最初とされているが、平泉寺の方が古く、中世の姿そのままの石畳道が当時の栄華をしのばせている。

巨大な杉が立ち並び、あたり一面に緑のじゅうたんを思わせる美しい苔が広がっていて一歩足を踏み入れれば、
幽玄な雰囲気に普段の喧騒も忘れてしまうほどで広い境内は、長い時間に育まれた天然の美と今なお息づく歴史が感じられるような感じで不思議な感覚に襲われた。

司馬遼太郎が「京都の苔寺にも勝ると言われたという苔は本当にみずみずしく苔に見守られているような平泉寺だった。

白山に登るときは必ずここへお参りしてから登ると事故がないということを聞いたがお参りもしないですでに登ってしまったので
ゴメンナサイと手を合わせた。(*^_^*)

普段はなかなか来られないところだと聞いた。本当に来られて良かった。
 
九頭竜湖の紅葉も素晴らしかった!

帰りの中央高速を走っている時、左側の車窓からは八ヶ岳、右側からは甲斐駒、鳳凰が夕焼けの中に浮かび上がったシルエットはとても言葉には表せない美しさでただただ眺めいってしまった。
こんなラッキーなことがあるなんて最後の旅の締めくくりの最高のプレゼントでこんな光景は初めての遭遇で興奮してしまった。

3日間真っ青な空の最高の快晴できれいな紅葉と平泉寺、そして最後の夕やみのシルエットとツキまくった楽しい旅だった。


光が当たって白く見えるところも緑のこけで覆われている

2011/10/19(水) 白山スーパー林道へ
今日は朝もゆっくりと温泉につかっておいしい朝食を頂いてホテルを9時と遅い出発。
手取川渓谷の展望と知られざる裏白山のジライ谷滝群を見て白山スーパー林道へ

昭和52年に開通した白山スーパー林道は石川県白山市と岐阜県大野郡白川村を結ぶ、
全長33.3キロメートルの有料道路だが景観に恵まれていることもあって観光道路としての利用が多い。
紅葉は丁度真っ盛りでどこもまっかっかで美しい。

名所は、ほとんどが道路から風景を見るだけだけど車窓からは白山の雄大な峰々を眺めることができる。
大小の滝が流れ落ちる渓谷美やブナの原生林など見どころが多い。

日本で一番通行料が高くこの観光バスは行きが21000円も取られるから絶対に寝ないでしっかり見て下さいねと
ガイドさんが笑わせる。
きれいな紅葉と白山遠望や遠く北アルプスも見ることがが出来て大満足した一日。

今日は3時半にはホテルに着いてまたまた田んぼの湯に入ってのんびりとホテルライフを楽しむ。

2011/10/18(火) 〜20日 北陸辰口温泉と紅葉の九頭竜峡
白山スーパー林道と九頭竜峡の今を盛りの紅葉見物に出かける。
丁度東名高速の集中工事などの関係で高速を降りて一般道を通ったり山の中を通ったりして行く。
ひるがの高原ではきれいな白山連峰がくっきりと望まれたので明日からの裏白山も期待できるなと思いつつ
辰口温泉の今夜の宿に着いたのは予定より2時間半も遅れた6:30静岡から10時間もかかっての遠い遠い道のりだった。
でもこの宿に2日間連泊出来るのであとはのんびりと温泉三昧
この宿は自慢の「田んぼの湯」で有名で前からとても楽しみにしていたところ
遠いからめったに行けないし、なかなかツアーもない。個人で行くと半年先まで予約が取れないとか超人気の宿だった。
サッカーの本田圭祐やゴルファーの青木とか女優や俳優などの有名人のサインがたくさん飾ってあった。

広いスペースに桜の木や柿の木が植えられお米まで植わっていて本当に田んぼの中のような感じで入られる。
湯温の違う6つの混浴露天風呂があって昔の山里の風景を再現している。
女性も男性も専用のバスタオル(パチンパチンと留められて絶対に落ちない)を着て入るので恥ずかしさはない。

この辰口温泉は1400年近い歴史を持つ古い温泉で一時は洪水のため水没してしまったものを天保7年1836年に
源助がようやく掘り当てたとか謂れが記してあった。
明治35年には10指を数える温泉宿で賑わっていたそうだ。
秋の夕べに苅田の赤とんぼと一緒に入れる温泉はとってもユニーク
念願の田んぼの湯に入れてとても嬉しかった。

2011/10/12(水) 龍爪山のシモバシラ
久しぶりに竜爪山へ登る。
トリカブト、シモバシラ、ソバナなどが今を盛りで白や紫の色がとてもきれいだった。
楽しみにしていたレイジンソウは今年は残念な事に一つも咲いていない。というより盗掘されてしまったのかいつもの場所にない。それと分かるレイジンソウの小さな葉っぱが2.3か所生えていただけ。
この芽に花が咲くのは何年先だろうと思われる。悲しい。
何故盗掘者があとを絶たないだろう。残念な事だ。
この画像を撮った場所はトリカブトとシモバシラが群生している私の秘密の場所だから・・・
今年の冬のシモバシラが早く見たい。
(あの土アケビはすでに影も形も無くなっていた。(T_T)来年同じところに生えてくるかしら?)

シモバシラはシソ科の平凡な植物だが冬に半枯れの状態になるとがぜん脚光を浴びる植物だ。

ウィキペディアによると
シモバシラが生えていたところには、冬になると氷柱ができる。シモバシラの茎は冬になると枯れてしまうが、
根はその後長い間活動を続けるため、枯れた茎の道管に水が吸い上げられ続ける。そして、外気温が氷点下になると、
道管内の水が凍って、茎から氷柱ができる。この現象は、地中の根が凍るまで続く。

あの丁度泡立てた生クリームのような独特な氷になるのだという。初めて見た時の感動は今でも忘れない。
今年の冬こそいい写真が撮りたいな〜〜

まだシモバシラという植物の根からこの霜の華が咲くということを知らなかった頃の写真をアルバムにアップしたことがある。
その後も毎年撮ってあるつもりだがパソコンのバグで消えてしまっている。
2005年12月23日に龍爪山に登った時の霜の華のアルバム

この日の気温はマイナス3度と記録されているからシモバシラの出来る温度と今日は出来ているかなと
いつも楽しみながら心配しながら行ったものだ。

http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/200522500dbaac298280d983142ffab118c63f430/064327316009605311

2011/10/04(火) ミステリーツアー3日目
70階のスカイラウンジでバイキングスタイルでゆっくりとスローライフスタイルで朝食。
きのう又雪が降ったらしく宝永山のあたりまで雪をかぶった富士山を遠く眺めながらの朝食は
とても優雅な気分。

さて今日はどちらへ行くのかな〜〜と期待を胸に今日も快晴の中ホテルを9:00出発。
東京湾アクアラインを通って海ほたるパーキングエリアへ。

昨日までも1万歩平均歩いているが5階までの階段を登りまた一階まで下りて、海底トンネルの掘削に使用した14.14メートルの実物大のカッターフェイスの巨大なモニュメントを見学して
(日本の技術は世界一ということを認識素晴らしい)
またまた5階まで登りまた降りて集合場所へと2往復も歩き回ってしまった。
このあと、鋸山へ登るということを知らなかったので・・・(ミステリーはこういう時困る(*^_^*)

ザ・フィッシュで昼食〜鋸山の山麓駅から鋸山ロープウエーで山頂へ
鋸山は富士山を眼下に東京湾をはじめ全関東を一望する頂上の景観だけでなく
歩いていても山中の地質が何層にもなっているのが見られたが学術的にも貴重な山らしい。

山頂〜百尺観音〜山頂展望台の地獄のぞき〜西国観音〜百体観音〜千五百羅漢など文化財としてかけがえのない名作の仏さまのお顔を拝見しながらアップダウンを
繰り返し日本寺の日本一の大仏さままで約50分
奈良の大仏様が高さ18mだから日本寺大仏の31mは本当に大きい!

木更津市の名工 大野甚五郎が門弟27名と共に生涯をかけてこの1553体の羅漢を彫刻し
世界第一の羅漢霊場として海外にも知られているという。
日本一の大仏さまも大野甚五郎が門弟たちと3年を費やして完成させたもの。
いつ来ても本当にすごいと感心させられる。
前2回来た時はしっかりと下から登ったからロープウエーでこのコースもいいなと思った。

また東京に戻り芝 増上寺へ 
増上寺は二代将軍秀忠公をはじめとして六人の将軍、御台所の崇源院(お江)、皇女和宮さまら
五人の将軍とその正室 五人の側室及び将軍の子女多数が埋葬されている徳川家の霊廟
普段は一般公開されていないがこの時期 大河ドラマのお江の人気からか特別公開されている。
秀忠公とお江夫妻が静かに眠っているの墓所を見学。

そのあと浅草 浅草寺 自由散策
今日はたくさん歩いたのでぶらぶらした後はスカイツリーの見える喫茶店に入ってコーヒータイムで集合時間までのんびりしちゃった。

東京駅でバスを降りて新幹線で帰宅。

とても貴重で有意義な観光が出来たことに加えて、私たちを乗せた観光バスが今回初デビューのおろしたてで新車のにおいがした事と
案内してくれた可愛いバスガイドさんが今日でマイクを置いてしばらく職から離れるということで
最後は涙・涙の挨拶になったり、白根山の初冠雪と思いがけないことが重なって思い出に残るミステリーツアーだった。

千葉 鋸山 乾坤山日本寺の日本一の大仏さま(薬師瑠璃光如来)
石像総高 31メートル

2011/10/03(月) ミステリーツアー2日目
朝食の時窓から見える白根山が真っ白で初冠雪があったことを知らされた。本当にラッキー!

ホテルを出発してやはり白根山岳道路を通っているから,
とあるところは白根山だ。風花がみぞれ交じりに変わり新雪で真っ白できれい。
紅葉はちらほら赤くなり始めてナナカマドの実が真っ赤になっていたが雪で覆われてそれもとてもきれい。

白根の上の駐車場は標高2100mなのでとても寒くて震え上がってしまって長居できない。
湯釜を見学する予定だったけど雪で足元も危ないし通行止めにもなってしまった。
私は何度も来ていて見ているからいいけど初めての人は残念そうだった。
下界へ降りてくればまるで嘘のように暖かい秋晴れの日。

嬬恋を通り上田市〜真田の郷(六文銭)上信越自動車道を走り長野県の松代へ 
ここ松代では太平洋戦争の遺跡 松代象山地下壕を見学
今回この遺跡が一番感動し心に深く残った。

第2次世界大戦の末期、本土決戦最後の拠点として大本営、政府各省等を松代に移すという
軍部の極秘計画のもとに構築した地下壕で着工は昭和19年11月から翌年8月15日の終戦まで
約9ヶ月の間に時のお金で約2億円の巨費と延べ300万人の住民や朝鮮の人々が労働者として
強制的に動員され、過酷な条件下で多くの犠牲者を出したと言われます(パンフ抜粋)

標高475mの象山という山のの下が全部が碁盤の目のように堀り抜かれていてその延長は10キロメートルにも及んでいるという。
全工程の75%の時点で終戦となって工事は中止されたという。
飛行機で上から見ても全然わからない。当然わからないように作ってあるのだが・・
本土決戦があった時に天皇陛下の身の安全を確保したり大本営の陣地としての地下壕だったらしいが
戦争の爪痕がリアルでたくさんの犠牲者が出て戦争の愚かさ、悲惨さを知るために多くの人々に
この存在を知ってもらいたいと切に思った。

戦後は訪れる人も少なく忘れ去られようとしていたが太平洋戦争の遺跡として多くの人に
この存在を知ってもらうために平成元年から見学できるように整備したもので見学できるコースは500mの区間だけだが
もっともっと宣伝すべきだと歯がゆく思った。そういう私も今回初めて知ったことだったけれど・・・

薄暗い壕の中はうすら寒さも手伝ってか強制労働させられた朝鮮人たちの思い怨念のようなものが
伝わってくるような気がして寒気のようなものを感じちょっと足がすくんでしまった。
一日三交代徹夜で工事が進められ食糧事情も悪く工法も旧式で人海作戦だけという。
本当に人間の手だけで作られたものだろうかと思うほどの大きさだった。床面積は23404uと書かれてあった。
全く知ることもなかった思いがけない遺跡にただただ深く考えさせられた。

また上信越道路に戻り富岡市の「富岡製糸場」

資料によると富岡製糸場は明治5年に日本で最初の官営工場で、
東・西の繭倉庫、繰糸場、
ブリューナ館、事務棟の建築物はほぼ建設当初の状態で残されており日本の近代化を
推し進めた産業遺産として現在も大切に保存されていて国指定重要文化財

当時の日本は明治維新を迎えたばかりで政府が急務としたのは輸出品の要であった生糸の品質改良と
大量生産を可能とする器械製糸工場の導入と推進で日本の工業化は製糸から始まった。
建設の指導者としてブリューナや製図工や女性の技術者など10名ほどのフランス人の製糸技術の指導が行われたという

とにかく建物が素晴らしい!構造は木材の骨組みの間にレンガを積み重ねる「木骨レンガ造り」
まだ日本ではレンガのない時代で見よう見まねで焼いたというので色むらなどが残り、
女工館やブリューナ館などはベランダの天井に板が格子状に組まれたり当時の日本建築にない特徴がみられる。

繰糸場は従来の日本にない建築工法で柱のない広い空間や採光(電気がなかったから)の為に多くのガラス窓や
蒸気抜きの越屋根などとても興味深かった。

明治5年から操業停止までの115年間にわたり休むことなく活躍し一貫して同一製品生産が行われ
操業停止後も今日まで旧状を変じることなく保存管理されたことによって建造物は創業当初のままで
残されていて世界遺産への暫定遺産リストに記載されているので世界遺産登録に向けての活動が進んでいるという。

「野麦峠」のような女工哀史はなくここの女工たちの待遇は良かったみたい。

こんなに素晴らしい遺産が日本にはまだまだたくさんあるのだ。知らないことばかりであった。
もっともっとゆっくり見たかったので少し心残りがするような気がした。
この二つの見学がめったに行かない初めて案内するとある観光地なんだなと思った。深く感銘を受けたとても良い見学だった。

その後首都高を抜けて横浜まで。横浜中華街でフカヒレ三昧コースの中華料理でお腹を満たし今夜のホテルに到着。
みなとみらい 横浜ランドマークタワーの超高層部にある ロイヤルパークホテルでした。すご〜〜い!
いつかは一度は泊ってみたいと憧れていたホテルだったので嬉しくて嬉しくて〜〜〜(*^_^*)

私の部屋は57階で部屋からの夜景も素晴らしかったけれど、せっかく来たんだからとランドマークタワー最上階(70階)の
スカイラウンジ迄夜景を見に出かける。
まるで宝石箱のような天空の夜景。
高級感あふれるお部屋でいつまでも夜景を眺めながら眠りについた。

70階スカイラウンジから
港ヨコハマを眼下に望む広大なパノラマ

2011/10/02(日) ミステリーツアーへ
日帰りのミステリーツアーには何度か行った事があるが今回は2泊3日で食事やホテルが
ワンランク上の豪華ということとあまり訪れない歴史遺産を訪ねるという魅力に惹かれ、
どこへ行くのかわからないまま楽しみな旅に申し込む。
行く前にコピーのキャッチフレーズから色々推理したけどわからないままに新幹線グリーン車で東京へ。

待っていた観光バスに乗り込む。色々説明をした後でとある駅、とある場所、とある、とあると
「とある」が頻繁に出てきて流行語になってしまって皆で笑いあう。
「不明な点は何でも聞いてください」と言われるがすべてが不明だらけの謎の
楽しいバスの旅が始まった。バスは首都高速を抜けて東北道を走っている。

初めての見学場所は栃木県足利市の足利フラワーパークだった。
園内を紫色一色にに染め上げているアメジストセージが目を引いた。(3万本あると聞いた)
1500株の水連と薔薇 コスモス、金木犀などなど
本当はここはフジの花で有名で600畳敷の大藤棚3面と世界でも珍しい八重の大藤棚などがあって
何時かテレビで見てフジの咲く頃来てみたいと思っていた場所だったけれど季節が違ったけれどまあまあ
秋の花々が十分楽しめた。
有名な女性の樹木医も今日は留守のようで会えなかったのが残念。

その後パワースポットの少林寺の達磨寺。ここではドイツの世界的建築家のブルーノ・タウト氏がナチ政権を
逃れて2年3か月居を構え執筆した洗心亭、タウト氏が散策した思惟の道などを歩く。
知らなかったことを色々教えられ勉強になった。

群馬県に入り利根川の支流である吾妻川に沿って東に行くので八ッ場ダム(やんばダム)の工事中のところを通っていく。
この問題が今どうなっているのかよく知らないがどこもどこも工事中、立派な橋や道路はすでにできていて
この下がダムの底に沈むのかしら?建設中止なのかしら?とバスの中から眺めながら走った。

ここまで来ると「にっぽんの温泉100選」のトップ10入選のとある温泉地の今日の宿は
こっちへ曲がったから四万温泉ではないらしい。草津温泉か万座かな?。草津温泉でした〜

日常から離れた広大な宿で草津温泉の熱めのお風呂に入ってから夕食を済ませて
夜は湯畑のライトアップ見学に出かける。

水連が1500株あるという。今が丁度見頃でどれも美しかったが水に映っているのがとても良かった。


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