|
2009/02/13(金)
洞慶院の梅園
|
|
|
午後から急に思い立って羽鳥の洞慶院の梅園に行く。 曇り日だったけれど大勢の梅見客でにぎわっていた。
安部城址への登り口があったので静岡に住んでいながら一度も登ったことがないので行ってみようかと思って登り始めた。 登り始めるとすぐに線彫りのやさしい顔をした石仏観音が出迎えてくれて、先日丁仏参道を歩いたかのような 間隔で番号順に出てくるので何番まであるのか気になって、ヒノキや杉の林の中を歩いていくと 約40分で三十三番石仏に到着して石仏はここでおしまいだった。ここで丁度半分だという。 なお登っていくと大きな鉄塔があった。
でも梅を見に来て急に登ったので水も持っていないし、靴も登山には向かない靴だったし、 あと頂上まで3.40分かかるとなると下山の時間も入れると・・・・ すでに3時半過ぎで天気予報では夕方から雨になるという予報だったので一応大事をとってここから引き返すことにした。 この次はちゃんと朝からお弁当をもって計画しようと思った。とてもいい山だった。 帰りは美人湯へ寄る。
帰ってきてから安部城主は誰だったのだろうと本で調べた。 驚いたことに歴史は古く約600年前の南北朝時代、南朝方の武将として活躍した狩野貞長公の居城跡であるという。 標高は435mの小さな山で、南北朝時代に豪族狩野貞長が安部城を築き、この地方を支配したという。 城は永享5年(1433年)今川範忠によって攻略され滅びたという。 現在狩野氏の居城であったという名残は安倍川に掛けられた「狩野橋」にその名を留めているという。 狩野貞長公に由来してつけられた名前の狩野橋を何度も通っていながら一度も名前の由来を考えたこともなく 今日まで来たことが何だか申し訳ないような気になってしまた。(~_~)
|
|
|
|