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2009/10/30(金)
イスタンブール歴史地域 その1
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今日は夕べ遅いのでゆっくりの9:00出発なのでゆっくり起きる。 朝食に行くと外は雨だった。初めての雨 今日までお天気に恵まれたのだから仕方ない。 今日は世界文化遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群の観光だ。
最初はブルーモスク バスの中からもうその壮麗なブルーモスクの姿が見える。 オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて 建造され世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5m 高さ43mの大ドームをもち、 内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られていて、白地に青の色調の美しさから 世界で最も美しいモスクと評されブルーモスクとも呼ばれているという。 (昔は竹の節のようなミナレットから礼拝を肉声で呼びかけていたそうだが最近はラウンドスピーカーのようで毎朝コーランが聞こえます。)
普通のモスクでは女性はスカーフをかぶらないとは入れないそうだが、ここイスタンブールは世界遺産として 観光地になっているので世界中から異教徒も来るのでスカーフの必要は無いと言う。でもスカーフを持っていてかぶって入りたかったな。
モスクに入るときは手や足など身を清めてから入るのだそうで10人以上の人が同時に洗うことが出来る洗い場が並んでいた。 2.3人のイスラム教徒が洗っていた。観光客にはその必要はないらしい。下足用のビニール袋が配られて靴を脱いであがった。
まずはその大きさにびっくりしてしまうが日本には無い石造りの堅牢さに圧倒される。 中はほの暗く無数のグラスランプが吊り下げられ、首が痛くなりそうなくらい見上げてしまうドームには、 アラベスク模様のブルーのタイルがびっしり。 広大な空間に投げ込まれたかのように高さ43m、直径23mのドームが天空を覆い、その四方を半円のドームが包み、 その半円のドームをさらに三つの小さいドームが囲んでと複雑に組合わさっている。 ドームの窓には美しいステンドグラスがはめられその光が碧いイズニックタイルに反射して空間を重く感じさせない。 不思議な空間が醸しだす美しさにはいつまでみていても飽きない感じ。
幻のビザンチン帝国 いよいよ次はブルーモスクの向かいに堂々と建つ、赤茶色の大聖堂「アヤソフィア」四本のミナレットと 大きなドームが聳え立つビザンティン建築の最高傑作と評価されている。
庭にはエジプトのオベリスクとコンスタティヌス一世の2本のオベリスクが建っている。 このアヤソフィア大聖堂が建設された頃がキリスト教国家、ビザンチン帝国がの最も栄えた時であった。
ここでもまず第一に驚いたことは天井の高さです。 56メートル!15建てのビルくらいの高さだそうです。 アヤソフィアはローマ帝国の皇帝により、キリスト教の聖堂 として建てられましたが、 オスマン帝国がコンスタンティノープ ルを征服した後、イスラム教のモスクに変えられました
西暦360年ローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造されましたが、暴動によって2度破壊されました。 現在の建物は537年にユスティニアヌス1世によって再建されたもので、ギリシャ正教の総本山となり、 歴代のビザンチン帝国皇帝がここで戴冠式を行いました。その後は大地震や十字軍の略奪などによって 聖堂は荒れ果てていきます。
1453年にビザンチン帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルが イスタンブールと改名されるとともにアヤソフィアもイスラム教のモスクに変わり、 頂の十字架が三日月になり、4本のミナレットが作られました。1922年にトルコ共和国になり、 アヤソフィアは現在の博物館となりました その際に、それまであった十字架がとりはずされ、メッカの方 向を指し示すミフラーブというものが設けられました。
アヤソフィアの一番のみどころはモザイク画です。オスマン・トルコによってモスクに変わった アヤソフィアは偶像崇拝を禁止するというイスラム教の教義に従い、大聖堂時代の内部のモザイク画は 漆喰で塗り固められてしまいました。オスマン時代に大改修で一時的に漆喰がはがされたこともありましたが、 現在のようなったのはやはり共和国になってからです。 ドーム内に入って最初に見える後陣の半ドームに描かれている「聖母子像」や 全部で10点ほどのモザイク画が残っています。
(・・・ということです。パンフより)
中は修復と調査のために足場が組まれていた。もう15年間修復しているそうでまだ何年かかるか分からないと言う。 トルコ建国の父アタチュルクによってモスクの改造され博物館になり塗りこめられた漆喰の中に残る 数少ないイコンに出会えたことは感慨深いものがある。 1400年以上も昔に描かれたイコンは素晴らしい物だった。
ブルーモスク
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