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2009/10/28(水) トルコ最大遺跡 エフェソスへ
バスはホテルを7:30に出発 今日の最初の見学はエフェソスの遺跡の見学
エフェソスの町は大変古くから発展し、大都市遺跡がそのままに残されていると言うトルコ最大の遺跡。
聖パウロが大劇場で大衆に福音を伝えたところだとも言う。
エフェソスまでは185km。(3時間30分)

途中革製品のお店に寄ったり、サンシュクと言う小さな町のレストランで昼食を取りながらエフェソスに到着。

最初にアルテミス神殿へ
ギリシャ神話における狩猟の女神アルテミスが祀られている壮麗な神殿だったらしいが
今では柱が一本復元されているのみで現在は夢の跡である。
世界の7不思議の一つだと言う。
今では貧しいトルコ人が住む部落のようであった。
強引な物売りのおじさんが何人もいて断るのに苦労した。

このエフェソスの地は紀元前3000年代にもさかのぼる建国で歴史上にも非常に重要な遺跡で見るべきところがたくさん有る。
かつてアレキサンダー大王が征服した町である。
ほとんどの建物が1世紀から2世紀に建設されたものが多くローマ浴場、公営アゴラ(市場、広場)
聖堂、音楽堂、市公会堂や凱旋門 公衆トイレット(下に水が流れる水洗式)、
中でも圧巻はセルスス図書館 12000巻の蔵書を有したと言う。
パピルスは当時エジプトから購入していたのでエジプトの神々の神殿が建てられエジプト人が多く出入りしていたと言う。
図書館の地下道には愛の館(売春宿)が有り男たちは図書館へ行く振りをして愛の館に行ったという話しを聞いて面白かった。
その当時の愛の館への道しるべもきちんと残っていた。

何度もこのエフェソスを訪れたと言うクレオパトラやシーザーがクレオパトラ通りと言われる
大理石の道を通りながらどんな話をしながら歩いただろう。不思議な感覚と感動を感じた。

そうそうナイキのデザインの元になったと言われるニケのレリーフもあった。
エフェソスには25万人の人口がいたと推定されている。トルコにはローマ以上にたくさんの劇場があったと言う。
オーケストラも付いて音楽会が催されたりパウロも伝道したこの大劇場は25000人もの
観客席が扇形に広がる大理石で作られた大劇場だった。

音響効果が如何にいいかを証明するために下へ降りていって劇場の真ん中で手を叩くとすごい!
響いて上のほうにまで全体に聞こえる音響の良さもしっかり実験をした。
その頃の日本は縄文時代から弥生時代だと思うと信じられない古代の人々の文化だと思う。

これらが異民族の侵入のため破壊されたが最もひどい破壊を与えたものは大地震だった。
繁栄していた商業の町、教育の町であった
エフェソスの崩壊し廃墟となった町は中性には全く意義を持たない存在となりトルコ人に占領されたという。

エフェソスの遺跡の大きさ、広さに驚かされる。
どの一つを見ても世界遺産に指定されるような所ばかりだけど世界遺産にはまだ指定されていない。
添乗員はまだ13%しか発掘されていなくてまだ87%の遺跡が地中に眠っているからだと説明されたが
私が何かの本で読んだのは遺跡から発掘された物以外の物を使って修復がなされたからと書かれていた。
柱の一部がコンクリートで固められていたのもあったからか?
修復した当時の人たちには世界遺産とかの概念はなかったと思われる。
今も盛んに発掘が行われ、クレオパトラの妹のお墓も発掘中である。(このニュースはまだ日本で新聞で読んで知っていたけれど)
 現在、観光できるのは遺跡の60分の1という。それでもものすごい広大。

いつの日か全部が発掘されて世界遺産になった時にはもう一度ここへ来て見たいものだと思うが・・・

遺跡の見学を終えてアイワルクまで250km 所要時間 約3時間のバス移動。

アイワルクまでのバスの車窓からはエーゲ海地域なので綿畑、イチジク、オレンジ、ざくろ、プラムなどの樹木や草木で緑が多くなる。
どこまでもどこまでも続くオリーブの森を走る。全世界に広がっているオリーブはこのトルコが発祥の地だと聞いてびっくり。

明日(10月29日)はトルコの独立記念日なので街々にトルコ国旗が掲揚されアタチュルクの肖像画が家々に飾られている。
アタチュルクの改革が無ければ私たちもこのイスラムの国になど怖くて旅行も出来なかったに違いないと思う)

エーゲ海のすぐ傍に立つホテルに着いたのは午後7:00ごろだった。

セルスス図書館 
この当時で12000巻の蔵書を有したと言うからすごい。


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