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2009/10/31(土)
10/30 イスタンブール歴史地域 その2
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昼食はマルマラ海峡が見えるレストランでトルコ名物のドネルケバブの食事 次はトプカプ宮殿 トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。 イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。
1453年にイスタンブールを征服したメフメット2世がビザンチン時代の宮殿や建物を取り壊し 1467年にオスマン帝国の宮殿として建設し、歴代のスルタン(オスマン帝国の皇帝)が増築しながら 400年間に渡って居城とした所である。 広大な敷地は4つの庭園の敷地に別れそれを取り囲むトルコで最大規模を誇る建築物で現在博物館になっている。
宮殿の中には5000人の人が住んでいたという。 陶磁器展示室には10〜18世紀の中国の宋代・明代の白磁・青磁、18〜19世紀の日本の伊万里焼きなど 12000もの品が展示されていて数多くのシルクロードを語る重要な文物もあった。 アフメット3世の図書館や衣装展示室、歴代のスルタンの肖像画室 大きなルビーやダイアモンド、エメラルド、真珠などの宝物殿。 恐らく略奪、殺戮を繰り返しての強奪品の金銀財宝の贅沢の限りを尽くしたものに違いない。
第2の庭の奥にはハーレムがあった。ハーレムの女性400人がスルタンのお声掛かりを待っていたと言う。 男性入室禁止で従者は奴隷が去勢された男たちが働いていたと言う。 かつては400もの部屋があったと言われ建て増しによって内部は迷路のように複雑になっていた。 スルタン、夫人、スルタンの母、宦官、女奴隷たちの大小の部屋があり外部からの侵入と 奴隷たちの逃亡を防ぐために窓と言う窓は鉄格子でふさがれていた。 新しいスルタンが誕生するとハーレムの女は入れ替えになってすべて殺されると言う運命とか、又 スルタンとの謁見の間があったが、猜疑心の強いスルタンは謁見した内容を部下に知られないように 護衛の兵隊はすべて耳が聞こえない聾唖者ばかりを護衛につけたという。いかに残酷な世界であったことか・・・・
トプカプ宮殿を出て今度はグランドバザールの見学
このグラン・バザールは、その昔、メフメット2世の命により1461年に建築され、どんどん増築するうちに このような巨大マーケットになってしまったらしい。 ここの屋内市場は中東最大ともいわれる大規模なもの。 場内は大きな屋根で覆われていて、通路が迷路のように無秩序に伸びておりその両側には貴金属店、 絨毯屋、陶磁器販売、洋服店などが約5000もの店舗が並んでいるという一大ショッピングゾーン。
集合場所だけ決めて自由散策と言うことになったが迷路のようで奥に行けば迷子になるというので なるべく奥にはいかないようにしてあまり広範囲は勇気が無くて歩けない。 それに商品には値札も無いものが多く値段の交渉から始まるのでうっかり買えないものばかり。 日本語で呼びかけられるし日本語も通じるけど観光客目当ての怪しげなお店もあるので要注意!とのこと。 すでに今までのモスクの見学で歩き疲れているので特別に欲しいものもないし値引き合戦をやる 気力も体力も無いので一通り見てからバザールの近くにあるカフェでチャイを飲みながら皆の買い物を待っていた。
ここのチャイで思いがけなく嬉しいことがあった。 トルコに来てエルマティ(りんご茶)のとりこになってしまった私。 エルマティを頼んで出てきたチャイカップがとっても可愛いので「これとっても可愛いね」って 日本語でいとおしむ仕草をしたらお店の青年は奥から新しいチャイカップを紙に包んで私の荷物を指差して この中に入れなさいと言う仕草で下さると言うのだ。嬉しくて嬉しくて何度もお礼を言った。 何か差し上げるものが無いかと思ったけれどなんの持ちあわせも無くそのまま頂いてしまったのが 今でも気がかりなんだけど今も家でこのカップでチャイするときこの青年の笑顔を思い出すと幸せな気分になる。
夕食はアガサ・クリステイの小説「オリエント急行殺人事件」で有名になったイスタンブールの 「スィルケジ駅」のなかのレストラン。 オリエント急行の終着駅として1888年に建設され、かつては上流階級の人々で賑わっていたそうだ。 スィルケジ駅の鉄道博物館側入り口は、当時の面影を残す重厚なレンガつくりで今も使われている。 この出口から何人かの乗客に混じってアガサ・クリスティが書いた探偵ポアロが現れて「オリエント急行殺人事件」が始まる、と想像すると面白い アガサクリスティーがこの駅を訪れたときの写真や有名人や名だたる人たちがこの駅を訪れている事が 壁にあるポスターや写真で示されていた。
世界三大料理と言われるトルコ料理は日本の味にも近く、概して美しく、とても美味しい。
トプカプ宮殿
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