日常の何気ない出来事を〜つれづれに〜
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2005/09/23(金) 雌阿寒岳登頂へ
今日はゆっくりとした8:00出発
野中温泉から、阿寒湖方面へ道路を100メートルほど行くと登山口がある。
登山届けを出してから歩き始める。
登山道はうっそうとしたアカエゾマツの樹林帯の中に付いていた。
二合目からはハイマツに変わり、周りが明るくなって来た。
ハイマツのトンネルを潜るように歩いて行った。
はじめは樹林帯だが、3合目くらいからハイマツとなった。
ハイマツといっても背丈よりもはるかに高くて展望は全くきかない
5合目くらいからようやく視界が開けてくる。
森林限界も過ぎ、瓦礫というか岩場の登山道になる。
天気が良く、ひっそりとしたエメラルド色したオンネトー湖を見下ろすことができて大満足。

森林限界を超えると、登山道わきには高山植物の
ガンコウランやコケモモ、イワベンケイなどが見つけられる。

頂上近くになると、ガスが出てきて風も益々強くなってきた。
山頂手前で、とうとう雨も降ってきて、油断できない状況。
吹き飛ばされそうな風に、身体を低くして歩き、火口壁の上を辿って
石積みの方位盤がある山頂に立つ。(1499m) 。
雌阿寒岳は今でも噴煙を上げている活火山であるがガスと雨と強風のため
硫黄の匂いもかき消され噴煙も何も見えなかった。

阿寒富士を登りオンネトーコースを縦走する予定だったがあまりの強風とガスで
危険と言うことでピストンに決定して早々に下り始める。
砂礫の中を下りながら、パンフレットにはコマクサもある、と書いてあったので
せめて咲いていないかと探したが、見つけられなかった。
7合目くらいまで下りてくれば風も雨やんでしまった。

下山後は夕べ泊まった野中温泉別館で温まる。
内湯は木でできていて、洗い場はない。シャワーも無く無論シャンプー石鹸など何もなく
昔ながらの湯治場風で露天は岩をセメントで埋めたもの。
ぬるめだったが、ゆっくり入れてよかった。
露天の男女の境は、衝立がひとつ置いてあるだけだった。

4:00  野中温泉出発  女満別空港の8:25のフライトまでたっぷり時間がある。
縦走して下りて来るはずだったオンネトー登山口へ回る。
オンネトーとは、アイヌ語で「老いた湖」という意味らしい。
神秘的な湖。北海道の五色沼と言われているそうだが、
湖面の色が変化してきれいだった
この湖面に雌阿寒岳と阿寒富士の雄姿を映す光景は、さぞ美しいだろうと思った
せめてひと目でいいから見たかったな〜〜。

深田久弥さんは、雄阿寒岳を登った後、この雌阿寒岳を登ろうとして登山口まで来たが、
火山活動で入山禁止になっており、ついに登れなかったという
私はたとえ雨の中といえ山頂に立てたのだから、それだけで満足しなくてはならない。

夕食を食べる為にガイドさんお勧めの網走にある値段はリーズナブルなお寿司屋さんまで走る。
北海道産のホタテやイクラ、ウニ、イカ 生タラバなどのお寿司と かに汁などを生ビールとともにいただく。
さすが北海道の味でとってもおいしくておなか一杯食べてしまった。
せっかく山登りで減らしたはずの体脂肪も一挙に戻ってしまったようだ^_^;

女満別空港までの途中網走刑務所の前を通る。
近代的な建物で、きれいでびっくりしてしまった。明治以来使われてきた歴史のある古い獄舎は
移築保存され、現在は「博物館」として公開されていると言う。

鎖塚道路という道を走ったけれど原生林のジャングルの中に
手作業で道路を作るために千人を超える囚人により強行し
逃亡を防ぐため囚人は二人ずつ鉄の鎖でつながれ鉄球を付けられ、労働していたそうです
その囚人も単に思想が違うと言うことだけで刑務所に入った人だったらしい。
死んだ囚人たちは、現場に埋葬されクサリを墓標のそばに置いたと伝えられ、
後年になって鎖に連結された人骨が発見され、鎖塚を建てて供養していると言う話を
ガイドさんが話されて涙ぐみながら聞いた。バスの中からそっと手を合わせた。

今日の北海道の繁栄は尊い犠牲の上になりたっていることを重く心に感じながら
どこまでも続くまっすぐな道路をバスは女満別空港へ向かっていった。

画像は北海道のハイマツは何故か背が高い。

2005/09/22(木) 斜里岳登頂へ
5:00 登山口である清岳荘までは、ジャガイモとピートというホウレンソウのような葉をした
畑の中を走って行く。道は2、3キロ先まで見通せる真っ直ぐな道だった。
ジャガイモ畑がどこまでも続き夕べの旅館の食事に出た
でんぷんもちのおいしさを思い出してしまった^_^;
ジャガイモ焼酎の工場もあった。でもあまりおいしくないとガイドさんは言っていた。

晴れていればこの辺から富士山のような姿をした斜里岳が見えるらしいが、
山裾だけがわずかに見えるだけで上部はガスって見えない。
斜里町は北海道東端部に位置し、北はオホーツク海、
東南には知床連山とまさに大自然に囲まれた環境

6:00 新築されたばかりの清岳荘の駐車場に車を置き、登山口まで15分くらい歩く 
ここは既に五合目で標高約650m。
トドマツやダケカンバの自然林を歩くと再び林道へ出て、暫らくはこの林道を歩く。
歩き始めるとすぐに沢に出た。飛び石、飛び石の連続で飽きない。
「初級沢登り」の長い区間が始まった
斜里岳は沢づたいに登るところが多く、他の道東の山とは少し趣を異にする山。

小屋から下二股までは約30分。沢沿いの道 しかし靴が水浸しになるようなことはなかった。

下二股の手前で、頂きが丸くヘルメットのような形をした斜里岳が見えた。
初めて見た斜里岳だった。

下二股からは、右手の尾根伝いに行く新道を見送って、
そのまま真っ直ぐ沢道を進んで行った。
ここからしばらく行った所で、思わず歓声を上げた。目の前にすばらしい滝が現れた!
この沢には大小合わせて七つの滝があるらしいが、その中の「羽衣の滝」らしい。
滝の左側を登って上に出ると、さらにその上に岩をなめるような滝が続いていた。
実にすばらしい滝だった。
すぐに次の滝が現れた。「方丈の滝」らしい。
その後「見晴らしの滝」を過ぎ、「七重の滝」
今度は、右手に「竜神の滝」、左手に「霊華の滝」が同時に現れて来た

本州の山であれば頂上までハイキングコースの整備されていそうな高さの山であるが
、北海道だけに、道が整備されていない、そんな厳しさがあるが
本来山はそんなものだろうと思う。手付かずの自然林が残っている。

ところどころ鎖場やロープの張ってあるところもあるが、ファイト イッパーツ!なコースが続き
足だけではなく手もけっこう使い木の枝やら岩の突起とかをつかみながら
三点支持を確保しながら登ったり変化に富んだコース。

 沢を登り詰めてから尾根筋に登る部分は急坂となった.上二股、着

上二股を過ぎた辺りで樹高が急に低くなり、ひねたダケカンバ、弓なりに曲がった
ミヤマハンノキ、背の高いハイマツ、紅葉を始めたウラジロナナカマド、
タカネナナカマドの世界になってくる。 森林限界だ。
ここから尾根コースである新道と合流して、馬ノ背まで「胸突き八丁」となる。
ここからもまた急登が続いた.
胸突き八丁の八合目付近からガレてきて、山頂が近いのが分かる
ホソバイワベンケイ、チシマギキョウなどの花が見事に咲いている。
馬ノ背へ出ると、すばらしい展望が待っていた。左手に斜里岳の山頂、
右手に南斜里、そして、正面には雲海が広がっていた。

この馬ノ背から、手前のピークを越えると、本峰との鞍部に祠があった。
私は祠に手を合わせ、安全登山を祈願した。
その少し先からハイマツの細い稜線を登り切ると斜里岳の山頂へ出た。
セメントで固めた大きなケルンがポツンと立つ、すっきりとした山頂だった。
普通のツバメよりやや大きめで尾の割れ方の少ないアマツバメが、
上空を盛んに行き来している。山頂へ思ったより早く着いた。
頂上直前は急傾斜で道が細く少し怖くもある
馬ノ背から見た時は40分位かかるかと思ったが、20分ほどで着いた。
ついに斜里岳の山頂に立った

下りは上二股から新道コースで下りる。
こっちはアップダウンがあって、下山モードの体にはこたえた
下山の途中龍神の池を立ち寄った。急に視界が開けて
池が見えたんだけど、底は、なんとも言えない不思議な色・・・・
底の形も不思議な感じ周りは一面コケで覆われていて神秘的。
「熊見峠」という背の高いハイマツなどに囲まれた地点を通過する。
熊の大好物と言うコケモモやブルーベリーが一杯ある。
私たちも分け前に預かる^_^;

アップダウンがきつく、相当たまっていた疲れを一瞬忘れさせてくれたのは、
野鳥の中でも一番体が小さいと言われる「ミソサザイ」が木の枝に止まって
盛んに鳴いているのを見つけた時だった。
逃げないでいつまでもとどまっていてくれてとっても嬉しかった。
今まで登ったどの山よりも怖かったし大変だったけれど登山のあらゆる要素が
含まれている楽しいコースだったと思う。

2:30  待っていたバスに乗り野中温泉まで行く。途中摩周湖に寄っていく。美しい湖だった。
足寄町は大きな町だった。鈴木宗雄さんや松山千春さんはここの名士で
絶対の人であるらしいことがガイドさんの話の端々にうかがわれた。^_^;

画像は朝焼けの斜里町のの空、昨日登った羅臼岳が見える

2005/09/21(水) 羅臼岳登頂へ
6:30 朝食のおにぎりを部屋で食べ羅臼岳の登山基地である立派なホテル「地の涯」の
裏側にあるログハウスの木下小屋前へ登山届けを出して、登り始める。

最初からいきなり急な登り、樹林の中を高度を稼ぐ
少し登ると「ヒグマ出没多発区間」と書かれた看板があった
650m岩峰まではアリがたくさんいてそれを食べに熊が出没するらしい。
無論鈴を付けているが、知床はクマが多いというので油断はできない。
さらにダケカンバ林へと入り、樹間から知床硫黄山と、そこから繋がる
知床連山の稜線と紅葉の始まった山肌が覗く。
沢の音が近くなり、待望の弥三吉水に到着。喉を潤し、水を汲む。

この弥三吉水も木下小屋も、こよなくこの山を愛し、登山道を開いた
木下弥三吉という人の名に由来するらしい。
弥三吉水を過ぎると傾斜が緩み、極楽平という平坦地に。
辺りは非常に緩やかでまさに極楽極楽。10分位で極楽平を通過し、
徐々に急になってきた。そしてジグザグの登りになった
さらに、ダケカンバの中の道を進むと銀冷水。
エゾツツジやチングルマの草紅葉と花の終わったタカネトウチソウや
薄紫色のイワギキョウの花が目立つ。
そんな遅い花を楽しみながら、、羅臼平まで急な道を登る。
、右手には羅臼岳が迫っていた
この辺はこのあたりからは高山植物の連続

オホーツク海から吹き上げる風速40mくらいに感じる冷たい強風に
吹き飛ばされないように身体をちじめながら大沢を詰め、ハイマツに覆われた中に
広々としたテント場でもある羅臼平に到着。

早めの昼食を摂っていると体がゆれる強風のせいか?いや違う!地震だ!
山が揺れている、ラジオのスイッチを入れると北海道東部震度4の地震 驚き!

ザックをデポして山頂へ行きたいところだったが強風と寒さの為ザックが背中にある方が
暖かいし吹き飛ばされないからと背負って行く事にした。
大きな岩がゴロゴロ積み重なった岩場を赤いペンキに導かれて、
岩場を登り切り、あとは横に移動して行くさらに頂上岩塔を目指す。
ようやくたどり着いた岩の塊のてっぺん 強風で吹き飛ばされそうだ
標高1661m、大きな岩の重なり合っている頂上岩塔に到着。這いつくばって記念写真


オホーツクの風に吹かれつつ見渡せば国後島、羅臼、知床横断道路と羅臼湖、海別岳、
網走からウトロのオホーツク海、知床五湖、そして知床連山が 『みえるはずだった』^_^;。
視界がよければ斜里岳や遠く大雪も望めるというが全く見えず残念
ガスがかかりっぱなしになってしまって頂上には2.3分いただけ

帰りは来た道をひたすら下って午後5時頃木下小屋へ到着。

羅臼岳 は、北海道、知床半島にある火山群の主峰、標高1660m。
山頂付近は溶岩円頂丘を形成。約500年前まで火山活動を続けていた活火山。
ルートは傾斜がきつく厳しい気象条件下にあると書かれていてその通りだった。
羅臼岳は標高差も1430m 私の体力の限界ぎりぎり。それでも登ってよかった。
(落伍者もでて10時間かかってしまった)

5時過ぎてしまってオシンコシンの滝や鮭が上がってくる川などの観光も薄暗くて
バスの中から見て通るくらいで今夜の宿の斜里温泉まで走る。

画像はたくさん咲いていたイワギキョウ

2005/09/20(火) 北海道の山へ
静岡を朝6:30 羽田空港着 9:42 フライト11:45 1時間半で中標津空港着
13:50 出迎えてくれた桜井さんという運転手件ガイドさんのバスに乗る。
北海道の事にかけては知らないことは無いと言うような博学のガイドさんで
興味深い説明を受けながら羅臼町をめざす。快晴で真っ青な青空の下、
真っ赤な実をつけたナナカマドの並木通りを通りコスモス街道が
どこまでも続く長い長い直線道路をひた走る。
北海道に来たな〜〜と実感

海の向うに国後が大きく見える。こんなに良く見える日は少ないと言う。
夜は国後の街を走る車のライトまで見えると言う。
本来は日本の領土なのにと複雑な思いで見つめる

海岸線に沿って細長い羅臼の町並み.。サーモン道路と呼ばれる
「スケソウダラ御殿」や「しゃけ御殿」の大きく立派な家が立ち並ぶ。
オホーツクの海岸線を走っていても潮の匂いが全然しないのは海水が薄いためで
又そのために流氷が出来易いそうだ。
「北の国から」のラストでとどを取ってくるシーンで純の番小屋が出てきたがその前を通った。

知床峠の展望台で明日登る羅臼岳を眺めていく。
さいはての山らしく北方的な風貌をみせてどっしりとしていた。

知床五湖の観光をする。原生林に囲まれてたたずむ幻想的な5つの湖。
五つの湖の名前が1湖〜5湖と大分手抜きしたみたい(*^_^*)
世界遺産になってから車の渋滞で近くまで行かれずバスから降りて歩いた。
時間の関係で2つの湖しか見ることは出来なかったが、最果ての地にふさわしく
しんと静まり返って周りの樹林や知床連山を湖面に写しながら静寂を保っていた。

今夜の宿 知床岩尾別ユースホステルまで行くまでにエゾシカを2,30頭見る。
初めは珍しく写真を撮っていたがあまりの数に途中でやめてしまった。
どこも芝生がきれいだなって思っていたら鹿が増えすぎてしまって草原は
ゴルフ場の芝生のようにきれいに草が食べられたあとだった。

本土では標高1500mくらいから見ることの出来るダケカンバの木も
緯度が高いから2.300の標高で育っている。それらは厳しい自然環境の中で
風雪に耐えて育っているので真っ直ぐな幹は殆ど無くガイドさん曰く
「阿波踊りしているみたいでしょ」って言われるように
あちこちに曲がって伸びていた。

知床とは、アイヌ語で「地の果て」という意味らしい。
岩尾別温泉には、その名も「地の涯」というホテルがあり、そこは
有名で宮様たちも泊まっていてそこへ泊まりたかったが私たちの今夜の宿
 岩尾別ユースホステルは宿の前にエゾシカが草を食みに来ているし熊も出ると言うまさに
名前にぴったりの地の果てのようなところだった^_^;

画像は知床連山と空を湖面に映す知床五湖の第二湖

2005/09/19(月) 拉致被害者を救うブルーリボンの会・静岡
拉致被害者を救うブルーリボンの会・静岡の発足記念講演会に
出かける。拉致問題の解決を求めて横田滋、早起江ご夫妻の
拉致事件の経緯説明など切々と語る話に涙なくしては聞かれない。すごく感動した。
小泉首相も郵政民営化を命がけで成功させたんだから
この情熱を拉致被害者を救うことに今度は命がけでやってもらいたいものだとつくづく感じた。めぐみさんが一日も早く帰られてお父さんやお母さんたちと幸せに暮らせる日が訪れることを心から願う。
会場に入りきれないくらいの人々で関心の高さが感じられた。
この世論でこの運動を盛り上げて行きたいと思う。

2005/09/01(木) 中の湯温泉〜静岡
部屋の窓からは穂高連峰が見渡せて、ゆっくりとのんびりと山の宿で過ごす至福の時間。
霞沢岳の上には変わった笠雲がかかり夏ツバメが群をなして飛び交っていた。
きっと天気は下り坂になるのだろう。

歩くと筋肉痛がひどい。朝食の前に又ゆっくりと温泉につかるとようやく少し収まった。
10:00にチェックアウトを済ませて静岡に戻る。15:30


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