日常の何気ない出来事を〜つれづれに〜
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2003/06/24(火) 利尻岳とウミネコ
朝早く起きて海岸を一時間ぐらい散歩する。海の向こうに利尻岳がそびえ目の前でウミネコが飛び交い、うに漁のボートがたくさん浮かんでいて空気がおいしくて気持ちがいい朝。
朝食を済ませチェックアウトして香深港を9:55出発までの自由時間にタクシーを頼んで地蔵岩まで往復してもらう。
地蔵岩の付近は礼文島の白亜紀堆積層の中でも一番古い部分が現れていて硬い堆積岩の互層を見る事が出来地蔵岩はこれは侵食されて柱状に残ったものが高さ50mの岩柱となって鬼門のように立っている。お地蔵さんが手を合わせて拝んでいるように見える。
夕日のビューポイントとしても有名だけど夕日は今回は見られない。
地蔵岩まで歩いた浜辺でハマベンケイソウの青い花に出会えた。(その時はまだ名前は知らなかった)
ベンケイソウと付くので、ベンケイソウの仲間のような気がしていたらこれは「わすれな草」と同じムラサキ科の花で葉は肉厚で青白色をしていて、青い釣り鐘形の花が涼しげだった。蕾の時はピンクがかっている。この花を知った事がここに行った最高の収穫だった。
お店で採れたての生うにと焼きうにを食べてビールを飲んでこれも最高だった(^o^)
香深港に戻りフェリーにのり一路稚内港へ
利尻島がいつまでもいつまでも見送ってくれた。
稚内空港〜羽田〜静岡と無事に帰宅。

2003/06/23(月) 礼文島へ
翌朝朝食後近くの灯台山と地元の人が呼んでいるペシ岬まで散歩,小高い丘を登って美しい海を眺める。今日は曇っていてまだ利尻岳が見えない。うに漁を見学する。ボートに一人づつ乗った男たちは器用に片足で櫂を漕ぎながら海の中を覗きこみながらうにを取っていた。

旅館を9:30 チェックアウトして鴛泊港で採れたてのうにを一つ500円で食べる。磯の香がぷーんとして中から次ぎから次ぎへとたくさんうにが出てきておいしくてビックリしてしまった。

今日は礼文島へ渡る。香深港へフェリーで渡る(40分)
礼文島は人の住む離島の中では最北にある礼文とうは稚内市の西方に位置し、利尻島よりさらに沖にある。
人も極端に少ないから手つかずのまま自然が残っている。
開発されていない自然を散策する。高緯度であるからこの島では低い岡の上であっても、森林限界を越えるとみられるような、笹が一面に広がっていたりまた西側の海岸線は荒々しく侵食され、その上には緑一面の岡が広がる光景も特異的だ。育つ植物も高山のものに近いようで、一面が淡く花の色に染まる今の季節は一段と美しい。
日本にもこんなところがあったのねとあらためて感動する。  

高山植物の宝庫と言われる桃岩展望コースとレブンウスユキソウの咲く礼文林道コースを歩く。花一面の草原を歩くのは、きわめて快適。
桃岩は、その名のとおり桃そっくりの高さ250mの巨大岩で、色とりどりの高山植物が咲き誇る周辺は、道の天然記念物に指定されていて展望台からは利尻島や礼文島西海岸一帯、眼下の猫岩が望める。
レブンウスユキソウ群生地は礼文林道沿いにある。
礼文固有の花で、可憐で可愛らしく咲いていて嬉しかった。

北アルプスで見慣れたヨツバシオガマそっくりで背が高く花数が多い物はレブンシオガマと呼ぶそうでエゾカンゾウは終わりかけていて数が少なかったけど、チシマゲンゲ チシマフーロがきれいだった。
北岳で出会ったミヤマハナシノブを一回り小さくしたようなかわいい花はカラフトハナシノブ チシマゲンゲ リシリゲンゲ ボタンキンバイと数限りない高山植物がこんなに低い所で咲いていて大感激。レブンウスユキソウを見つけては歓声を上げたりしていた。北海道でも1600m以上の高山でしか見られない可憐な高山植物がこの礼文島では海抜ゼロメートルで咲く。
道ばたにはコウリンタンポポ マンテマなどの帰化植物が咲き誇りこんなに増えたら固有種に影響が出そうで心配になるくらいだけどとてもきれいで見とれてしまった。

旅館まで歩いて到着(5:30)今日も二万歩ぐらい歩いた。
部屋で今日見てきたお花で名前のわからなかったものなどを植物図鑑などで調べる。

2003/06/22(日) 利尻岳登頂
5:30 仕度を整え昼食のおむすびを受け取り旅館の車で北麓野営場の登山口まで(10分)送ってもらう。
すずらんが咲いてたりトイレも完備しているきれいな広い野営場の標高は約220m利尻岳北峰の標高は1719m、単純に計算しても標高差が約1500mあるので、かなりハードな山行になるなと心を引き締める。(予定では登り下りで9時間20分休憩時間2時間30分として11時間50分)
歩いて10分ほどでおいしい水の涌き出る名水百選にも選ばれた3合目の甘露泉 ここが最後の水場なので水を補給する。口に含むと甘く感じられておいしい。いよいよ登山開始。

針葉樹林帯を登る 緩いのぼりででツバメオモトやマイズルソウ ショウジョウバカマ ウツギなどを眺めながら黙々と歩く。本州では高山にしか見られない植物が、利尻岳では平地から頂上まで広く分布している。左手に海が見える。
5合目あたりで森林限界を越え、展望が開け第一展望台と呼ばれている広場で休憩、姫沼や鴛泊の町そして礼文島が見える。

高山植物が可憐にあちこちに咲いているので傾斜がだんだんきつくなっても楽しく登れる。ダケカンバやハンノキなどの林間を進み、ハイマツのトンネル状の樹林帯の急勾配をどんどん登っていき6合目を過ぎると樹林帯もなくなり前には利尻山頂が見えてくる。7合目7曲がりを経て急登が終わると利尻岳が眼前に迫ってくる長官山(八合目1218m)ここまでで3時間半
絶好の利尻山頂のビューポイント 険しい利尻岳が早くここまで登っておいでと招いているようで嬉しくてわくわくする。
八合目を過ぎ避難小屋を過ぎて行くととエゾノハクサンイチゲやチシマフウロなどが咲き乱れていて九合目ま(1時間)ではお花に助けられて軽く登ってしまう。

「9合目、ここからが正念場」の道標のところで昼食休憩でゆっくりと休み、沓形分岐(9.5合目 1500m)にザックを置いて空身で水だけを持って登る。
火山礫のガレ場・ザレ場の超急登で足場の悪いガレを一気に登ると、神社が祭ってある。ようやくの思いで社のある山頂にたどり着いた.ついに念願の利尻岳山頂に到着した。(12:00)「やったー!」
こんなに遠くまで来てよく登れたな〜〜ってじわじわと感動が沸いてくる。サハリンなどもうっすらと見えて最果ての山の頂にいる感慨をよりいっそう強めた。
神社に無事に登れた事を感謝して神社の先のお花畑に足を運ぶ。
山頂の岩場に咲く北海道の固有種のエゾコザクラの花を見つけた時は嬉しかった。又一面に咲き乱れるエゾエンゴサクの淡い青紫色の花に,目を見張った.

崩落が激しく今では立入禁止になってしまっている南峰の姿も良く見える。利尻岳は北峰と南峰の双耳峰で南峰のほうが北峰より2m標高が高いが、立ち入れないので、現在では北峰が事実上の山頂である。
山頂近くに雄大にそびえるローソク岩の姿も圧巻だった。

こんなに苦労して登ったんだから降りたくないという気持ちが一杯だったけど....それでも充分に満ち足りた気分で頂上を後に下山を開始して往路を戻る。
火山礫の急斜面,踏み出してもズルズルとずり落ちて登りよりも下りが大変だった。
途中、長官山から振り返った利尻は絶品、名残の勇姿をしっかりと目に焼き付ける.
こんなにも登ったかしらと思うほどの長い長い下り。
三合目の甘露泉までくればホッとする。甘露泉の味は格別で下山して飲むこのお水は世界で一番おいしい水に思える。旅館の車が迎えに来てくれて昨日の宿の鴛泊にもう一泊する。
夜は又海鮮づくしのお夕飯に舌鼓を打ちながら今日の成功をおいしいビールで乾杯する。

2003/06/21(土) 利尻岳へ〜
百名山の中では一番に出てきて、日本最北端の山。コニーデ型死火山で別名利尻富士とも呼ばれる、島全体が山といってもいい利尻岳1719m。いつかは行きたいと、いつも思っていた憧れの山に出かける。
静岡(8:00)からバスで羽田(12:20発)、飛行機で稚内(14:05着)、フェリー(15:30発)で利尻島(17:10着)へと乗り継いで 鴛泊の旅館へ着いたのは夕方の17:30頃。
今日は移動だけで海鮮づくしの晩餐(うに 蟹 昆布 ホタテやえびの刺身 ニシン等)を取り早めにお風呂に入って疲れを取る。
部屋から雄大なドラマティックな夕焼けを眺めて明日は最高のお天気になるな〜〜って思うと興奮して寝られそうもない。旅館の廻りを散歩すると3000mで咲く高山植物のリシリヒナゲシが普通に咲いていて,嬉しくて写真を撮る。北緯45度の高緯度に位置するため、本州では高山にしか見られない植物が、あちこちに普通に咲いていてビックリする。利尻とはアイヌ語でリイ・シリ=高い山という意味だそうだ

2003/06/19(木) 拉致被害者へ義捐金を〜
J-WAVEが呼びかけて拉致被害者への義捐金を集める「ハンド・イン・ハンドライン」を実施している。ダイヤルQ2を利用して電話番号(0990-51-1000)にかけて家族会の蓮池透さんのメッセージを聞くと情報通話料の中の90円が募金出来る仕組みになっている。
自分に出きることは何かないかって考えていた時知ったので利用させてもらっている。もしご賛同いただける方がいましたらご協力お願いします。解決していない問題だから継続して注目して行く事はとっても大事な事だと思う。

2003/06/18(水) ミュージカル キャッツ
新「静岡市」の誕生を記念して劇団四季の『キャッツ』が静岡で上演される事になって今日の日を楽しみに待っていた。(PM6:30開演)
初演は1983年 もう20年間も公演していて2002年の4月には初演以来の総入場者数が500万人を超えたと言う事を聞いた事がある
四季のミュージカルは「オペラ座の怪人」に続いて二度目だったが、完全に四季の魅力にはまった。一歩会場に入ってビックリ
市民文化会館が、舞台設定となる都会の夜のゴミ捨て場に大変身 ネコの目線で作られた“キャッツ・ワールド”ガそこにあった。
ストーリーは満月の夜、ゴミ捨て場に集まった猫たちが人生を語り、その中の一匹だけが新しい人生を歩むことができる。長老猫が最も純粋なジェリクルキャッツを選ぶ特別な舞踏会。
再生を許され、新しいジェリクルの命を得るのは誰か。
夜を徹して歌い踊る猫たち。

振付・衣裳・照明・音響 舞台装置(特に星空が美しい)に猫たちは野性味が増してより猫らしく、より個性的でダンス、表情 歌が素晴らしくて猫の世界に引きずり込まれてしまう。
これぞエンターテイメントって感じ。
一人一人の個性が輝くダイナミックでシャープな踊り又マジックネコの“超人的”なジャンプや回転も目を見張る。 輝く月の光を浴びながら1匹だけで踊る白い猫の踊りは幻想的で、印象に残る。みんな体が柔らかくてしなやかな猫になりきっていて圧倒された。
特に良かったのは、やはり「メモリー」若い頃は売れっ子の娼婦だったけれど、年老いて孤独の中で生きているメスネコ のグリザベラ。
(ジェリクルキャッツにこの彼女が何故選ばれたのかは私としては疑問だけど・・・・)
人生のつらさや過去への郷愁などの思いを込めて、「メモリー」を歌いあげる。幸せだった過去を思い出しながら歌う。なんだか泣けてきそうに素敵だった。キャッツの主題になっている曲なので4回ほど中で歌われていたが歌がとてもうまくて素敵だった。
カーテンコールが何回もあって興奮が収まらなかった。

2003/06/17(火) ジャカランタの花
静岡駅前のビルが林立する一角にある宝泰寺に今年もジャカランダの花を見せていただきたくてお寺にお伺いする。にこやかに優しく案内してくれた本堂の奥庭に咲く大きなジャカランダの木に今年も対面を果たす。
今年はいつもの年より最高でまた今日が一番の見頃ですよと言ってくれて見上げるジャカランダの木は青紫色の花をいっぱいに咲かせて迎えてくれた。今まで見たときより色も濃くてとてもきれいだった。
静岡には珍しいこのブラジル原産のこの大きな木がどうしてこのお寺に来たのかを聞く事を忘れてしまったけれど、来年はきっと聞いてみよう。

2003/06/12(木) 今年も蛍を見に行く
去年は6/4 その前の年は6/9だったからもう遅いかしらと思いつつ急に思い立って蛍を見に行く。
毎年同じ場所 宇津ノ谷のトンネルを抜けてすぐ『つたの細道』の登り口にきれいな公園が整備されきれいな川のせせらぎのほとり 
人々も三々五々と集まり始めていて6/8の日曜日が最高だったよなんて話している。
期待できないかなって思いながら散策していると ピークは8時ごろと言われるだけあって少しづつ光出して舞い始めた。あっあそこにもここにもと優雅に飛び交う蛍を追いかける。
たくさんは見られなかったけれど数十匹ぐらいが交互に点滅してとてもきれいだった。
去年はこの木がクリスマスのイルミネーションのようにきれいだったのに今年はこの木には数匹ぐらいしか見られなかった。
でも養殖でなく自然の蛍がこんなにもきれいに飛び交うということはこの辺は農薬も使わないで蛍の為に自然を大事にしているんだなって思った。
蛍を見るとこころが和むようなきがした。

2003/06/07(土) 歴史と出会う遠州の古刹を訪ねる
さわやかウォーキング『歴史と出会う遠州の古刹を訪ねる』に友人と参加。
袋井駅に8:46到着して受付を済ませて9:00出発
袋井駅〜親水公園〜旧東海道松並木〜久野城址〜千鳥ガ池〜油山寺
〜可睡百合の園〜可睡斎〜東海道ど真ん中茶屋〜袋井駅
一応16km 所要時間4時間30分とはなっているがお寺は奥の院まで階段があるし
可睡百合の里では広い園内一周するのに時間がかかるし20キロ以上はあったと思う。
万歩計を付けていくのを忘れてしまったけれど二万歩以上は
歩いた感じ。
最後は足にマメが出来てしまった。
百合園は今年はひょうと天候不順で百合が全然駄目、
去年最高の時に来ていたので今年は全く全滅といっていいほど花が少なかった。
牡丹で有名な可睡斎のお寺では室内で牡丹展があって思いがけなく
時期はづれの牡丹をたくさん見ることが出来た。
お昼はユリご膳の精進料理をいただく。
袋井はマスクメロンの日本一なので大きなメロンの4分の一が500円で試食できて甘くておいしくて大満足。(^。^)
東海道のど真ん中茶屋(53次ぎの28番目の宿場)でお茶を飲んでから
袋井駅へ3:00到着 今日は本当に良く歩きました。
帰りの電車の中は座れたので良かった。

2003/06/06(金) 檜洞丸〜犬越路
5/29 神奈川県丹沢にある檜洞丸(1601m)にシロヤシオを見に行く。

檜洞丸は新緑がきれいなブナ林に山頂が覆われている事と山頂直下のバイケイソウの群落,登山道のツツジの多さで丹沢の山の中では群を抜いて人気の高い山でツツジ尾根上部では道全体がシロヤシオに包まれてまるで別世界へ迷い込んだようだと聞いていたので大いに期待したのだが今年は裏年らしく例年より少ないという。7:00登り口

高度が上がって稜線が近くなってくるとシロヤシオの満開の大きな木が出て来たりしてうれしくなる。稜線の分岐を行くと木道の道が続く。ブナやヒメシャラの林の中はバイケイソウの群落で緑のカーペットを広げたよう。
木道が終わって山頂近くに見事な満開のシロヤシオがいくつか見られ歓声を上げる。11:00頂上
檜洞の頂上は広くてブナ林の中なのであまり頂上らしくない。小さな祠が一つあるだけ。頂上でゆっくり昼食。汗を流して飲む缶ビールの味は格別。

2003/06/04(水) ナツツバキ
6/1咲き始めました。

またたち返る水無月の 嘆きを誰に語るべき
沙羅の水枝に花咲けば 昔の人の香ぞ匂いける

                 芥川竜之介

2003/06/01(日) 映画 トンネル
シネマサークル えいあいれんの4月の例会

1961年、突如現れたベルリンの壁、長さ約166キロ、
高さ約2メートルで、上には鉄条網が張り巡らされていた。
西側へのすべての輸送・交通網が遮断され、数十万人の家族が東と
西で引き裂かれる,ベルリンの壁が建造される直前から物語が始まる。
それも実話とあって非常に説得力がある。

1962年5月、ハッソ・ヘルシェル氏(当時27)が仲間と共に西ベルリン側から
トンネルを掘り始めた。廃工場を借り、地下7メートルほどの深さまで掘り、
その後、東ベルリンへ向けて掘り進んだ。
ベルリンに多い地下水と戦いながら、トンネルを補強しつつ少しずつ掘り進んだ。
そして東ベルリンのアパートの物置部屋に到達。
ハッソ氏の妹ら東ベルリンの亡命希望者とはスパイさながらの方法で連絡を取り合い、
計29人が西ベルリンへ脱出したハリーのモデル、ハッソ氏は亡命支援者として有名で、
以後1972年までの10年で約1000人の亡命を成功させたらしい。
壁が崩壊するまでの28年間、西ベルリンへの脱出を試みた人は5000人以上。
200人以上が命を落しているという。

上映時間が2時間47分と長いが映画の始まる前に
東西冷戦時代壁が作られるに至った解説があり映画の内容も良く分かった。
始めからスリリングで国家保安局との攻防によるサスペンスなどで
最後まで夢中になってしまって時間の長さはまるで感じられなかった。
掘っている人間各々に複雑な人間関係。
自分の恋人がスパイになってしまったり、西側に居る息子を守るために自殺する母親、
壁の向こうで自分の恋人が撃たれる銃声を聞いてしまう女性…。こういう時代が
つい最近まであったのだと思うと恐ろしくなってしまった。
朝鮮半島も今分断国家で彼らが見たらどう思うだろうと考えながら見た。
事実だけが持ちうる圧倒的な重みを感じた。


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