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2009/01/03(土)
そうだね、マルちゃん
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『Frantic Semantics』て本、単語の変遷を語てあて それが小説やったら大体の部分掴んで先に行けるのに こゆ本はあんまりごまかして読めへんみたいで 難儀してらっしゃいますおねいちゃんは、 「聞く英語や喋る英語はほんまいい加減やしなあ」 年の初めに自分に反省ムードの連日とよ。そしたら 別の本を読んでて『字を見ていると、ひといきに 飲み込めない。特に難しくて知らない単語があると もうだめだ。しかし、耳で聞いている時には、難しい 単語なんかも一飲みに周りの言葉と一緒に飲み込んで 日本語になってくる時にはおおよそのことを かいつまんで言えば知らない言葉があっても なんとかなる。つまり耳の力は実にたいしたものだ。 おそらく耳から入った情報と、目から入った情報は 使い道が違うのかもしれない。少なくとも、脳みその違った 場所で受信されるわけだ。目はすごくこまかいところまで 区別できる。耳はそれに比べて大まかにぐっとつかむ。 耳はポイントを掴んで要約する力がある。 目は客観的で正確であるかもしれないが耳から入ってくる 言葉の迫力にはかなわないんじゃないかな』 日本の教育のあり方に問題を投げかけてて そしてその言葉はおねいちゃんに 『それでいいのだ』と言っているようで おねいちゃんはやっぱり「これでいいのだ〜」て ごまかし英語を続けることに決めてました。やれやれ。 ミミコと名付けたおねいちゃんが前にいただいたさる、 さむ兄ちゃんによるとアメリカの大恐慌時代に 古いくつしたで作られたクリスマスプレゼントが モデルらしいですとよ。 「ぼくもちっちゃい頃そんなん持ってた記憶がある」 ウェインさん言うてました。今年も『もったいない』の心 どんどん広がって白熊や氷や島を助けますように。
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