マガッタ玉日記
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2008/08/31(日) 『近況報告 AUG』
2008/8/25

どうも。
中村です。
今日もまだパキスタンのラワールピンディにてインドビザ待ちです。
あさってにはやっとこさインドビザが手に入るでしょう。
パキスタン内はあちこちムシャラフ後の政権争いでどかどかやってるみたいですが、思いのほかいたって平和です。
悪しからず。
この町は首都「イスラマバード」まで車で40分という結構な都会の癖に、一日に5回ほど一斉計画停電が開始されています。
ということで途中で切れてる「♯35タジキスタン」は今から、そんでもって♯36は途中で切れてる可能性大です。
悪しからず。
とかなんとか。
みんな、良い夏してるみたいで。
来年の夏のご予定は?
「ちょっとリッチな日本の夏」を開催予定なんで2,3万貯めて予定明けといてくんちぇい。


では。
Have a hot summer!!
中村崇




nakamura takashi

2008/8/22

imaha

[pakistan] no shuto [isuramaba-do] no tikaku

[rawa-rupindei]

tte mati ni iru nakamura desu .

genki desu .

shinpai kaketemasu .

daijoubu.

genki desu .

kokode shibaraku indo visa no hakkou mati de gozaimasu .

tokananntoka ,

kuwashikuha mata .

kitto indo de baaaaaaaaatto kousin dekiru yoteidesukara .

dehadeha,

ro-mazi nite siturei simasita !

deha!

Have a nice life !!


from pakistan
by nakamura takashi


本日、8月9日。
オリンピック始まりましたねー。
こちらはパキスタンの北西部、「チトラール」に到着。
昨日、すごくうれオいことがありました。


それではお互い今日も明日も最高に楽しい一日を…
HAVE A NICE LIFE !!


中村崇

2008/08/24(日) 『#65 ASIA 〜 パキスタン』
『小リッチ』    819 ラワールピンディ


「信頼」があるってのは大切なことで。
「あの人は信頼が置ける人だ」
僕もそう言われるような大人になってみたい。
「タイム イズ マネー」
時は金なり。
いくら時間に余裕がある旅行者たちだっていつ来るかも分からんバスをひたすら待つのは嫌ってもんだ。

***********

パキスタンのバスは平気で2,3時間遅れてやってくる。
インドのバスは一日遅れてやってくる。
だからパキスタンのバスが正確に走り、正確に到着するってのは珍しい。
とかなんとか。
長旅中の小リッチってのは本当に小さいリッチなんだな、
今日はそんな話で。

***********

ペシャワールの南東、「ラワールピンディ」へ行く移動方法はいくつかある。
バス会社もさまざまあれば、鉄道だって通っている。
「まあ、ここでいいか」
僕はペシャワール市内の地図を広げ、今泊まっている宿から一番近いバスステーションの名前を覚えると、三輪タクシー「リクシャー」をつかまえた。
「SAMMI DAEWOOってとこまで」
交渉が終わると、リクシャーは喧騒の町を走り出した。
今日もクラクションがやかましい。

やがてついた「サンミダーウ」というところはどうやらバスステーションの名前ではないようだった。
サンミダーウという名のバス会社兼バススタンドだった。
まあなんでもいい。
ラワールピンディにさえつければどのバス会社だっていい。
「ピンディまでいくらですか?」
そう思っていたら、この会社は今まで乗ってきたボロバスとは少し毛色が違っていた。
ペシャワールからピンディーまで2時間半の道のりで300ルピー(≒450円)するという。
これは他社の倍近い値段に相当する。
「…今から違うバス停いくのも面倒くさいし、まあいいか、今日は小リッチに」
ほんの少しの小リッチに浮き足立った心で乗るサンミダーウバスのシートはフカフカだった。
そして車内にはエアコンが効いている。
「…おお」
久しぶりのエアコンにすぐにサブイボが立ち始めた。
バス内には美人バスガイドが乗り込んでいる。
ただ道を走るだけなのになにを観光させようというのか。
出発前には犯罪防止のためか、乗客一人一人の顔をビデオカメラに収めていく。
慣れない状況につい鼻が膨らんでしまう。
そして満を持してエンジン音が車内に鳴り響く。
「…まさか」
腕時計を覗き込んでいると、バスは定刻11時に出発した。
もうこれだけで笑顔が出てしまった。
快適な2時間半のバス旅が始まると、美人バスガイドは丁寧な箱に入ったお菓子とコーラを全ての乗客に渡し始めた。
「すっげー至れり尽くせり…」
記念にお菓子の箱を写真に収める。
よく効いたエアコンのせいで冷えすぎた体をさすりながら僕はポテトチップスをバリバリと頬張った。
もう寒くて寒くてサブイボが止まらない。
いい加減上着を着ればいいのに、なんとか冷やし溜めをしようとしてしまう。
もっと寒く、もっと寒く、もっと寒くだ。

「…あっっづい」
2時間半の夢はすぐに終わった。
ラワールピンディのバス停は今まで感じたことがないくらいに暑かった。
到着時間は遅れてくれてもいいものを。
何を思ってももうそこにエアコンはない。

大都会ラワールピンディ。
一度吸った甘い汁はそうすぐには忘れられない。
「…せっかくだし、今日だけは」
都会の象徴、外資系の台頭「ファーストフード店」の前で僕は唾を飲み込んでいた。
この町には、この町には「ケンタッキーフライドチキン」がある。
あのケンタッキーが開いてる。
「………」
僕は再びエアコンの効いた店内に入ると、散々悩んだ末、食べ慣れたあの味、フライドチキンに食いついた。
長く日本を離れると、美味い飯よりも懐かしい味が恋しくなる。
たとえばこのチキンの味はどうだ。

読んで字のごとく、僕懐かしい味を骨の髄までしゃぶり続けた。

もうしばらくここからは出られなさそうだ。

2008/08/20(水) 『#63 ASIA 〜 パキスタン』
『HOW ARE YOU !?』       8/17   ペシャワール



「HOW ARE YOU, JAPANESE!?」
「…Fine!! Are you?」
ペシャワールの地理を体で覚えようと暑さにだれながら路地裏を歩いてると、縦横無尽に飛んでくるのは「HOW ARE YOU !?」。
いつも誰かに声掛けられる。
時にそれが楽しく、それがうざったい。
自分のコンディションが悪いときにゃどうしたって誰も相手にしたくなくなる。
「ほっといてくれ!」
そんなことをいうのでさえ面倒臭いんで、暑さや疲れに任せて僕は何も聞こえない振りをする。
でもそんな時、陽気に店番してるじいさんに威勢良く「元気か?」と聞かれれりゃ、ついこっちも負けじと元気に答えたくなるってもんだ。

「HOW ARE YOU, JAPANESE!?」
「…Fine!! Are you?」

じいさんは愉快に笑い皺を濃くしながら続ける。

「HA-HA-HA I'M ALWAYS FINE !!」
「…Always?」

するとじいさんは自分のちっさい店を抱えるように指差して答えた。

「YAH!! I WORK THIS SHOP EVERYDAY, SO, I'M BUSY EVERYDAY, SO, I'M FINE & HAPPY EVERYDAY !!」

半畳程度の古ぼけた商店のじいさんが顔を皺くちゃにしながら、笑った。
僕の目は爛々と輝いた。
なんて格好いいんだと輝いた。
僕はそのじいさんにすっかり魅せられていた。
僕は行き過ぎていたじいさんの店に引き返した。
なんかすごく幸せな気分になりましたよってことを感じたままじいさんに伝えたかった。
でも直接そんなことを見知らぬ外人に言われたらびっくりする、いやそれ以上に言葉が分からない。
店先に戻ってくるわずか3秒間にいろいろ考えた結果、僕は店先に並んであるペースト状のチョコを一本買った。
わざわざ店先でそれをちゅーちゅーとすする。
それからさっきの感動を込めてじいさんに伝えた。
「This chocolate is good !!」

それからさっきよりもすこし軽い足取りでまた散策を続けた。

きっとじいさんには何も伝わっていない。

2008/08/16(土) 『#59 ASIA 〜 パキスタン』
『野次馬の心』     8/13  ブンブレット谷



ルンブール谷、ブンブレット谷、ビリール谷。
「カラーシャ族」はこの3つの谷に昔から住んでいる。
車で行けば1時間程度の3つの谷、それでもその雰囲気はそれぞれ少し違う。
たとえば「ブンブレット谷」はカラーシャ谷の首都で、坂道の一本道にはゲストハウスやホテルが並び、ギリシャNGO団体の援助で建てられた立派な建築物が目立っている。
そして何よりほかの谷と違うのはカラーシャ族の姿があまり見られないことで。
もちろんいることにはいる。
でも、次第に住みよくなってきたこの土地にムスリムの人たちが次々と移民してきた。
「あ、これは面白い絵なんだろうな」
ほっかむりで髪まで隠した地味なムスリムの女の子と、派手な衣装で着飾ったカラーシャ族の女の子が仲良く山で遊んでいるのが見れる。
とかなんとか。
先進国の援助でカラーシャ谷の一つが一気に変貌した。
おかげで人は住みやすくなり、民族の色は薄くなった。
そんな姿をみてみたい野次馬が一人、今日ブンブレット谷に移ってきた。


***********

昼過ぎ、僕はバックパックを担ぐと山道を下り始めた。
ここから「ブンブレット谷」までは歩いて、推定4時間半。
「まあ、大丈夫だしょ」
最初のうちは下りばかりが続き、運ぶ足にも力が漲る。
よし、この調子で下り続けよう。
爽快な山道は強い日差しを抜いて考えれば、なかなか面白い。
たかが3,4時間のトレッキングでもやっぱり苦労して歩いていくのと、ひょいと車で行くのとでは意味が違う。
僕は1時間ほど鼻歌交じりに歩き続けた。
やがて…はあはあ…はあはあ…はあはあ。
さあ、ここからだ。
1時間を過ぎたあたりから体は疲れ始める。
と、そこに一台のジープが通りかかり「乗るかい?」と声をかけてきた。
「いや、僕は最後まで自分の足で歩いていきたいんで」
そんな言葉はそっと奥にしまい込んで、僕はジープに揺られた。
ものの30分。
あっけなくジープはブンブレット谷につくと、また白い土埃をあげて走り去っていった。
「…ここがブンブレットか」
ギリシャNGOの援助で暮らしやすくなったというブンブレット谷は予想の範囲内だった。
改宗者やイスラム植民者の姿は目立つが、全然のんびりとしている。
「…あ、そんなもんか」
確かにゲストハウスの数や店の数はルンブールに比べて桁違いに多い。
でも「NGO」「援助」「変貌」という言葉から連想していた忙しさは見られない。
なんだかほっとしたような、期待外れのような気持ちで僕は町を歩く。
「…やっぱここは都会だわ」
どこかでそう言いたい自分がいたのに。
「…やっぱ先進国が入るとなあ」
そう野次りたい自分がいたのに。
旅行者の心なんてのは本当無責任なもんで。
ルンブールとブンブレットを比較して、この文章の巻末はこう締めくくりたかったのに。
「こういうところに先進した姿が見られる」
でも残念ながら、ここは十分のんびりしている。
と、あるホテルの従業員に声をかけられた。
「お茶飲んできな!」
結局ブンブレットの人たちも変わらず穏やかでいい人たちだった。
そう思ってお邪魔すると、彼らは突然高圧的な物言いになった。
「お前の今泊まってるゲストハウスはダメだ!汚い!高い!飯がまずい!うちに来い!」
突然の荒っぽい客引きに僕は引いてしまう。
「…いやいい所だと思うよ」
そう言っても彼らは嵐のように僕の泊まっているゲストハウスを罵倒し続ける。
彼らの目的はただ一つ。
自分のゲストハウスに泊まってもらいたい。
そこで僕は「…やっぱりか」と思う。
ほんの小さなことなんである。
こういうところに少し先進した姿が見られる。

2008/08/15(金) 『#58 ASIA 〜 パキスタン』
『神聖と穢れ』       8/12  ルンブール谷



賑やかな子供たちの声で目が覚めた。
僕はガシガシと頭を掻いて煙草をふかす。
そういえば髪伸びたな。
もともと髪の量がものすごく多い僕の頭は両サイドがボワンとふくらみ、今じゃヘルメットみたいになっている。
あと目にかかる前髪が邪魔だ。
「…ふぁ」
寝起きなのにまた眠い。
もう一眠りしよう。
どうしよう。
「…うん」
そのまま僕は何するでもなくぼけっとバルコニーに座り続け、短い雨をやり過ごし、それから川を上ることにした。
川を少し上流に進むと「サジゴール」という神殿がある。
そう聞いていた。
それを見に行こうか。
「サジゴール?サジゴール?」
村人がなんとなく指差す方向へ僕は進んでいく。
サジゴール。
響きもさることながら、カラーシャの神殿っていうのに僕はものすごく魅かれる。
この神殿に女性は入れない。
理由は「穢れる」から。
そういえばこの一族の女性たちはこの谷で体を洗うことが許されていない。
やっぱり大地が「穢れる」からだそうだ。
だからカラーシャの女たちは体を洗いたくなったら、わざわざ谷を降りるそうだ。
チベットの方でもこういう話は聴いたことがあった。
ただチベットでは「穢れ」の逆で、女は垢が溜まれば溜まるほど「美人の証」と考えられている。
垢の量が「福」の量なんだそうだ。
だから男は「お、こいつ垢だらけで黒光りして美人さんだなー」と嫁を選ぶらしい。
一昔前に日本で流行った「汚ギャル」ってやつはチベットに行けばモテる。
信じられないが、そういうもんらしい。
んん、世界は広い。
で、話は戻る。
この神殿「サジゴール」に女は入れない。
たとえそれが旅行者であろうと間違って入ろうものなら、谷中あげての大騒動となり、谷中を清めなければならないらしい。
僕は運良く男だった。
これはラッキー、中に入れる。
「…どんな神殿が広がってんだ」
トウモロコシ畑を掻き分け、虫を払いながら僕は進んでいく。
で、途中道に迷う。
迷うというか、道がなくなった。
明らかに道ではない崖が先には広がっている。
村人たちに教えられた通り進んだつもりだったが、道がなくなっていた。
「諦めて帰るか…」
そこへちょうど薪を担いだおじさんが通りかかった。
いつものように「サジゴール?サジゴール?」と尋ねると、おじさんはすぐそこを指差した。
「…あ、ありがとうございます」
とお礼は言ってみたものの内心「これだけ?」とびっくりしていた。
イスラム世界の異端者たちの大事な神殿がこれだけ。
崩れた石垣に一本の大木、以上。
大木といった所でこのあたりにゃ大木がごろごろ生えている。
この樹は何も特別神木に崇められる様な樹じゃあない。
それはものすごく質素で味気ない神殿だった。
僕が思わず素通りしてしまったくらいに味気ない。
風化しきった感じだけが、貫禄を感じさせる。
それを観た時の感想ってのは「…さて、帰ろうか」、そんなもんである。
そう思ったとき、とある本のとある一説を思い出した。
「神聖、神聖と謡って金を集めてどこが神聖だ。神聖、神ってのは観光地じゃないんだ」
文書はうつろだが、すごく納得したのは覚えてる。
本来「聖域」ってのは人が集まったり、観光するための場所じゃない。
「神」が宿る場所なんで。
そして神は安らかな場所にのみ宿る。
川にでも樹にでも石ころにでもなんにでも神は宿る。
「万物に神は宿る」
僕はこの考え方が結構気に入っている。
カラーシャ谷に聖域はたくさんある。

2008/08/14(木) 『#57 ASIA 〜 パキスタン』
『ゆとり老人』          8/11 ルンブール谷



カラーシャ谷の朝は穏やかだった。
山の斜面に段々に建てられたカラーシャの家は、一番麓にある僕の部屋からよく見えた。
カラーシャの箱型の家の天井は平らで歩けるようになっている。
それが段々に続いているので、村人たちは人の家の天井を階段のように歩いていく。
とくに隠すこともない村の生活は開けっ広げで、あくびをしながら眺めるその光景はなんだかとても穏やかに映った。
庭からはおいしそうな朝食の煙が立ち上っている。
その周りを素っ裸の少年とひよこが駆け回っている。
小川の周りでは洗濯をする母に子がまとわりついている。
「ああ、いいなー」
そんな空気に包まれて生活していると、僕にも多少変化が訪れた。
まあ、なにがどう変わるということでもない。
ただ道を歩く速度が少しゆっくりになったり、気がつくと後ろ手を組んでいたり、乾いた洗濯物をわざわざ3回に分けて取りにいったり、緑をじっくり眺めていたりするくらいだ。
と僕はそこで誰かに似ているな、と思う。
誰かの生活スタイルによく似ている。
ああ、そうか。
老人の余生か。
この時間の流れ方はきっと「老人時間」ってやつなのかもしれない。
日々の生活の中に「老人時間」が入ると、なんとも一日ってのはゆっくり流れ始める。
なかなか老人時間が掴めない僕は、たまに一つ一つの動きを意識的にゆっくりやってみる。
「頭をかく」
反射的に動いてきたこの行動をいつもと違うスピードでやってみる。
「……!」
これが意外と心地良い。
今なら道端の石に日長一日座ってるじいちゃんばあちゃんの気持ちが少し分かる。
「一日あんな所にいて何考えてんだろう。暇じゃないのかね」
そう思っていたあの頃への疑問に「何も考えてないのかもよ」と答えてあげたい。
じいちゃんばあちゃんは「暇」かどうかなんてのを考えていない気がする。
無我の境地。
ただぼけーっとするってのは本当にボケてない限りすごい事かも知れない。
彼らの薄れた眼には若者なんかにゃ見えない何かが見えているのかもしれない。
「…いいな、それ」
僕もそんな老人になれるだろうか。
日長一日日向ぼっこに費やすようなボケ老人に。
80の僕よ、そっちはもう日長ぼっこを始めてるか。
まだなら今日がその日かもしれないぜ。

2008/08/13(水) 『#56 ASIA 〜 パキスタン』
『民族』          8/10 ルンブール谷



チトラールを出たジープは谷の中に入っていた。
やがて谷は二又の別れ道になると、僕はそこで下ろされる。
ここから先、ジープは左道のブンブレッド谷へ向かう。
一方、僕は右道の「ルンブール谷」へ向かう。
「どれ歩きますか!」
ひとつ気合を入れて歩き出すと、すぐに車がやってきた。
「乗っていくかい?」
どうやら彼らはルンブール谷の人間のようだった。
どうやら僕はついている。
僕はこうしてなんなく「カラーシャ族」の暮らす谷にやってきた。

***********

鮮血が辺りに飛び散る。
「今日は祝いなんだよ」
僕には何の祝いかも分からないが、男たちは「メッ」と力なく鳴くヤギの首にナイフを入れた。
すると真っ赤な血が水道をひねったようにジャーッと流れ出る。
ヤギはすぐに大人しくなる。
男の一人は溢れ出る血を両手を差し出して掬う。
僕には何の祈りだかも分からないが、男は近くの雑草にその血を祈るようにかけた。
澄んだ緑の葉が赤色に染められていく。
一方、死んだヤギは釜のある家に運ばれ、石のまな板の上に置かれた。
そしてすぐさま、ある者は腹にナイフを、ある者は鉈で骨ごとブツ切りにしていく。
すぐにヤギであったものは豪快にばらされ、薪でぐつぐつ煮立つ湯に放り投げられていく。
僕は目を見開いてその光景を眺めていく。
素っ裸の少年たちはそんな僕を興味津々に見つめている。
ヤギの頭蓋骨は直接火にくべられ、焦げた毛や肉を削ぎ落とすと、家の前に飾られた。
「女は食えないしきたりなんだ」
やがて茹で上がった肉に男たちだけがむしゃぶりつき始めた。
「うまいかい?」
「うまいうまい」
僕もそれに習ってむしゃぶりつく。
ただヤギの肉は羊のように臭みが強く、ゴムのように弾力性が強いのでなかなか噛み切れない。
それでも僕はなんだか嬉しくって、長いことヤギ肉をしゃぶり続けた。

***********

イスラム教一色に塗り潰されたパキスタンで、独自の土着の多信教を信じている一族がこの辺り3つの谷に住んでいる。
カラーシャ族。
「万物に神は宿る」
どうやらその宗教観はどこか日本に似ている。
名もない宗教を信仰している彼らはこの国で「カーフィル(異教徒)」と呼ばれ、いわゆるイスラムパキスタンとは全く違う顔を持っている。
カラーシャの女たちはそれぞれ思い思いの鮮やかな刺繍の入った民族衣装と数百の宝貝をびっしり縫いこんだベロの付いた帽子、人によっては100を超える赤、黄、橙のネックレスで着飾られている。
ピンク、黄、赤、青、緑。
老いも若きも子供も全て、女という女はカラーシャ独特の民族衣装で着飾られている。
西洋の血が感じられる端正な顔立ちの女性たちがこの衣装で炊事洗濯をし、井戸端会議に耽っている姿を見ると、もうそれだけでこの土地に来たことを感謝してしまう。
一方、男は普通。
なんだかな。
どこの国でも男の衣装ってのはなんだかなと相場が決まってる。

谷には澄んだ小川が流れ、小麦、トウモロコシ、麻畑が広がり、喧騒や混沌といった慌しい空気はどこにもなかった。
澄んだ川沿いに転がる大きな石に座ってぼーっとしていると、涙腺が緩み始める。
「…なんだか泣きそうだ」
気を緩めたら泣きそうなくらい綺麗な景色と空気が満ちていた。

民族。
谷の人間。
独自の文化。
とかなんとか。
今日からしばらくはイスラムを離れ、カラーシャの人たちを覗いてみよう。
そうしよう。

2008/08/12(火) 『#55 ASIA 〜 パキスタン』
『豚の食えない国、男は晒し女は隠す』 8/9 チトラール



パキスタン北西部「チトラール」。
この辺りの州の名前を調べると「北西辺境州」だった。
辺境、だなんて自国に呼ばれりゃ世話がない。
僕がここの人間なら「お前の尺度で勝手に決めるな」と言ってやりたい。
ジープの窓から広がる光景を見ながら僕は考える。
辺境州、か。
どんな辺境地が広がっているんだろう。
楽しみでしょうがない。
僕は今日、チトラールにやってきた。

***********

店店店店店店店店店店店          

店店店店店店店店店店店

軒を連ねる屋台のような店と腐敗臭、昼寝する野良犬とゴミをあさる野良牛。
ほとんどの野良犬たちの皮膚はただれ、体のどこかが腐ってきている。
僕は注意しながら横を通り抜ける。
こいつらは狂犬病にかかっている。
夜になればヨダレを垂らし、辺りを徘徊し始める。
いやそこらにいる牛もヤギも猫も安心できたものじゃない。
そういえば不思議とアジアではあまり猫の姿を見かけない。

マスツージを早朝に出て4時間もすると、僕は辺境とはとても呼べない大きな町に着いていた。
「…でっけーじゃんすか!」
チトラールは普通の町だった。
宿に荷を置くと、すぐに警察署に向かう。
この町に長居するつもりはない。
明日にはこの町を基点に「カラーシャ谷」に入る。
なんなく谷への通行許可書をもらうと、この町を散策し始めた。

少しずつパキスタンを南に下っていくと変わってくるのは、アジア色が強くなってきたのと女性の姿が見れなくなったこと。
イスラム色が濃くなってきている。
外にいるのは男たちばかりだ。
時々女性の姿を見かけても黒子のように影になっている。

イスラムの女性は家族以外にその姿を見せてはいけない。
だから外を歩くときは全身を黒い布で覆う。
目元だけを残し、黒いベールでその姿を隠す。
戒律をより重んじる人は目元さえも布で覆い、正直その姿は滑稽だ。
なんというか、日本で育った僕には気の毒にしか思えない。
そのくせ、男たちは働いているんだか働いていないんだかよく分からないやつらが多い。
昼間から道でチャイをすすり、だべり、とても一家の大黒柱とは呼べない姿をさらしている。
「お前ら、少しは働けよ!」
そう叱ってやりたいもんだが、「お前もな」と言われたらそれまでなのでやめておこう。
町の男たちのダラダラした姿を見つめながら、僕は鉄串にこびりついた牛肉をチャパティ(平たいパン)ではさみ抜き取り腹を満たしていく。
イスラム国家では豚が、ヒンドゥー国家では牛が食えない。
理由はそれぞれ豚は不浄の生き物だから、牛はシヴァ神の乗り物だから、だそうだ。
どちらも食える日本は素晴らしい。
ところで日本は金メダルをとったのかね。
串屋でオリンピックをながめながら10本、20本、30本、腹が根をあげるまで食い続けると、あとはチャイをすすって泥のように眠った。
「お前もな」

確かにそのとおりだから、何も言えない。

2008/08/09(土) 『#52 ASIA 〜 パキスタン』
『優しい人』     8/6   ギルギット




「よし、行くぞ!」
たかが1週間弱のフンザ滞在で今まで張り詰めていたものが一気に緩んでしまった気がする。
フンザから3時間南の「ギルギット」へ、これだけの移動でやけに気合が入る。
「よし、来たぞ!」
軽トラックを改造した乗り合いトラック「SUZUKI」がやってくると、重い荷物を荷台に放り投げ、僕はフンザを後にした。

***********

「パキスタン」といえば常に危険なイメージが伴う。
どうやらそれは当たっているし外れているようだった。
情勢は各地でテロ爆破があるくらいだからいいとはいえないだろうけど、とにかく人が良い。
パキスタンはとにかく人が良い。
うざったくなるくらい人が良い。
「かつて、インドとパキスタンは一つの国だった」
本当かよ?
疑いたくなるほど人がいい。

***********

「…あ」
ギルギットに着くと、懐かしい匂いがした。
小便と糞と果物と野菜のすえた匂い。
野良犬が眠り、野良鶏が走り、野良牛がゴミをついばんでいる。
僕はこの匂いが嫌いじゃない。
イメージで言えば古ぼけた茶色い匂い。
真新しい、というものが何一つない。

アジア色の濃くなっていく町を歩いていると、やがて僕は町外れに目的のバス会社を見つけた。
「Do you have a bus to matuthuji on dayaftertomorrow ?]
そう聞くと、カウンターの兄さんは笑顔のまま僕を見続けた。
「………」
「………」
しばらく僕たちは無言で笑顔を見合わせる。
「…あ」
どうやらこの人は英語が通じないようだった。
しばらくの間手こずっていると、隣の店のおじさんがウルドゥー語で何かを言い、すぐに去っていく。
そして兄さんは僕の言いたいことを理解している。
「…あ、ありがとう!」
どうやらおじさんはさりげなく手を貸してくれたようだった。
おじさんは後ろ手を振り店に戻っていった。
やがてチケットが手に入ると、彼は再び声をかけてきた。
「チャイでも飲んでくかい?」
おじさんの笑顔からはニコニコと音がする。
笑顔で近づいてくる者は信用するな。
多少の警戒心は持ちつつ、それでも僕は彼の後をついて行っていた。
「名前は何ていうんだい?」
「タカシです、おじさんは?」
「イサークです」
古ぼけた店内には岩塩や調味料がゴロゴロと転がり、錆び付いた天秤と重石がレジの前に並んでいる。
僕たちは番台の椅子に腰掛けチャイを飲んでいる。
とそれを珍しそうに道行く人が覗いていく。
僕は看板息子よろしく来た客に愛想を振りまいていく。
主のイサークおじさんは客もほったらかして見知らぬ日本人に話し掛け続けている。
「日本から来たのかい?」
「そうだよ」
「どの町だい?」
「東京だよ」
「パキスタンはどうだい?」
「すごくみんな優しいから好きだよ」
「それはいい。日本はパキスタンと兄弟だからね」
「へー」
「さチャイをもういっぱい飲みな」
「ありがとう」
日本とパキスタンが兄弟だなんてそんな話聞いたこともないが、そう言っては無償の親切をしてくれる人がパキスタンにはたくさんいた。
この頃にもなると、警戒心はすっかり消えている。
その代わり、無償の親切に対してなにかお礼をしたくなる。
僕はゴロゴロと転がる岩塩を見つめる。
「そういえば塩が切れ掛かってるな…」
いや岩塩を買って帰るわけにはいかない、何かもっと手頃なもの。
と店内を見渡していると番台の上に埃の被ったお香を見つけた。
それを払い、匂いを嗅ぐと「これは良い匂いだ」と僕は大袈裟に言う。
恩着せがましくならないようそれから心底欲しそうな振りをし、おじさんに聞いた。
「これはいくら?」
「15ルピー(22円)だよ」
ちょうど手頃な値段だ。
「じゃあこれ、一つ下さい」
財布に手を伸ばすと、イサークおじさんはそれを制し、またニコニコ笑いながら言った。
「お金はいいよ、これはプレゼントだ」
チャイまでご馳走になってそれは出来ない。
「いや、それはダメだ、これは払わせて下さい」
しばらく押し問答したあと、無理やり100ルピーを渡すと、おじさんはそしらぬ顔で釣りを返してきた。
90ルピー。
「いや、おじさん5ルピー多いって」
「5ルピーはサービスだ」
「…ありがとう!」
「パキスタンへようこそ」

本当。
本当、パキスタン人は人がいい。
「ボーイ、良い旅をするんだよ」
「ありがとう、27だけど」
ところで、僕は相変わらず海外で少年に見られる。
こういう時、本当の歳を言わないのも優しさなのかもしれない。


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