マガッタ玉日記
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2008/07/31(木) 『#44 ASIA 〜 中国』
『パキスタンの鼻の先』       7/30 タシュクルガン


「…あ、寝坊した」
慌てて放っぽってた荷物をバックパックに詰め込むと、僕はカシュガル国際バスターミナルに向かった。
「パ、パキスタン行きのチケット下さい!」
焦ってそう言うと、「まだ開いてないでしょ」とチケットカウンターの女性に冷たくあしらわれた。
バス停は閑散としている。
カウンター上の時計を見ると7時30分。
僕の腕時計は10時30分を指していた。
「…あ、そうか」
これも時差ボケというのか。
度重なる国境越え、何度も日付変更線を行ったり来たりとしているうちに、僕の時計はすっかりボケていた。
「パキスタンルピーに交換しないか?」
暇つぶしに近寄ってくる闇両替屋と換える気のない交渉をしながらゆっくり3時間待つと、ミニバスはカシュガルを離れていった。

僕は今日、このバスでまずは中国側の国境「タシュクルガン」に向かう。
そこで一泊したら、明日パキスタン領に入る。
つまり明日から「南アジア」に入る。
パキスタン、インド、ネパール、バングラディッシュ、うまくいけばスリランカなんかにも足を伸ばしてみたい。

「…え…え…わ…おお」
中央アジアの2ヶ月で山にはもう飽きた、そう思っていたのに僕はまた溜め息を漏らしていた。
壁のように立ちはだかる山を見上げ、雲かと思っていた雪に瞳孔が開かれる。
草原にある遊牧民の移動式住居ボズユイを眺めていると、岩山が現れ、それは突然砂丘に変わる。
砂丘が終わると今度は干潟のような浅い水源地帯が広がり、続いて静かな湖と山岳氷河が広がり始めた。
「な、なんだなんだ!」
ただの国境越えのつもりが、次々と様変わりする山の光景に僕はただ呆然と口を開けた。
「この湖がカラクリ湖だよ」
隣に座っていた陽気なパキスタン人がそう教えてくれた。
これがカラクリ湖か。
なんの情報も集めないまま来てしまったが、名前だけは何度か聞いたことがある。
そこは標高高く静かで、広く澄んだ湖が7000m級の山々をすっかり写していた。
「そして明日通るのがカラコルムハイウェイだよ」
カラコルムハイウェイ。
「………」
まずい。
このままじゃまずい。
このままじゃ「パミールハイウェイ」が薄れていく。
6日間で$250と大金叩いていったのに、このままじゃパミールハイウェイよりカラコルムハイウェイの方が印象濃く残ってしまう。
いや、たった一泊二日470元(≒3320円)の旅じゃないか。
そう大したはずがない。
パミールよりもいいもんか。
僕は布団に入る。
まずい。
胸がワクワクしてきた。
やっぱり明日が待ち遠しい。
どんな景色が広がるんだろう。

パキスタンの鼻の先で、僕はムズムズと眠った。

2008/07/30(水) 『#43 ASIA 〜 中国』
『炎の台詞』       7/29 カシュガル



長期旅行者が中国に戻る楽しみといえば、何といっても「中華料理」で。
豪快な炎と中華鍋を振る見事な手さばき、
雑に盛られた皿から立ち昇る湯気、
久しぶりの箸を使って食う中華は何よりも美味い。
「中華、うっめー」
中華は旅行者を裏切らない。
いつだってそっと優しく包み込んでくれる。
だからその夜の僕は油で照った北京ダックをそっと皮に包み込む。
そして一気にかぶりつく。
じゅわっと口中に油が広がる。
「中華、うっめー」
生まれて初めて食べる「北京ダック」は至福の味がした。
もう涙がこぼれそうだよ。
「やっぱ、中華っすねー!」
「やっぱ、中華っすねー!」
宿で出会った長期旅行者と馬鹿の一つ覚えみたいにこの台詞だけを繰り返す。
「やっぱ、中華っすねー!」
これはもう今書いている脚本にこの台詞を入れなければとさえ思う。
「やっぱ中華っすねー」
もし来年にでもやる舞台を観に来てくれた人は耳を凝らしてみてほしい。
どっかに突然この台詞が入るかもしれない。

あの夜あの男があの場所で、血で滴るナイフをかざして言ったんだ!やっぱ中華っすねーって。

どうでもいいや。

明日、僕はパキスタンに向かう。

2008/07/29(火) 『#42 ASIA 〜 越境』
『屁みたいなテロ』    7/28   バス



西日になり始めた夕方6時、ようやく僕は中国側の国境「イルケシュタム」を抜けた。
これで僕たちはこの国境付近だけで4時間以上待たされていたことになる。
先に通過していた数人はまだ来ないバスに待ちくたびれている。
皆と少し距離を置き座り込むと、僕は眉間に皺をつけて考えた。
「…これは一体どういうことだ」
北京オリンピック直前で緊張した国境間は検問の連続で、その度に僕らは眠い目を何度もこすり、何度もバスを降ろされた。
「これはなんだ!」
「これも開けろ!」
もう何度目だよ。
もういい加減嫌になってきた。
それでも洗いざらいチェックされたはずの荷物をまた一から検問される。
「キレイにいれたってどうせ同じだろ」
隙間なくパッキングしたはずの荷物も、今じゃぐちゃぐちゃにぶち込まれている。
でもいい。
もうそれは慣れてきた。
僕が眉間に皺を寄せてるのはそんな理由じゃない。
屁がとまらないからだ。
ここ数時間、プッププップきりがない。
僕は今や種だけになった袋を見つめ呟く。
この野郎。
このアンズ野郎。
アンズに整腸作用があるとは知らなかった。
長時間の移動のおやつとして買い込んだ1sの干しアンズをクチャクチャクチャクチャ食べてるうちに、プッププッププッププップと始まった。
「干しアンズに罪はない」
それでもクチャクチャ食べ続けると、いよいよ全く止まらなくなった。
クチャクチャ プップ 食べては出し、食べては出す。
今ではもうアンズはなくなり、屁だけが後遺症として残った。
だから僕は今、眉間に皺を寄せている。
「…遅いな」
ところで同じバスに乗り合わせたバンジー君とアッチさんの日本人カップルが最後の検問から帰ってこない。
僕のすぐ後ろに並んでたはずなのに、待てども待てども二人はそこから出て来なかった。
「…なにかあったんかな」
いやに心配にんあって国境に戻ろうとした時、二人は無事にやってきた。
それでも二人共浮かない顔をしている。
「…どうしたの?」
バンジー君の右手にあるものを気にしながらそう訊くと、二人は声を落として喋り始めた。
「…中国のガイドブック、破られました」
「…え?なんで?」
「なんか地図に“台湾”が入ってなかったからこれはダメだって」
「…は?何それ?」
「そんなの俺らしらねーよ、って言ったら色々訊かれて結局没収しようとするんで、なんとか必要なページだけうばいとったんですけど、これですよ…」
バンジー君が掲げた数枚の紙はビリビリになっていた。
これじゃまるで必要なページが必要じゃないページみたいだ。
第一、地図に台湾が載ってないのは出版社の問題だし、どう考えてもそれでテロリストの疑いありとはならんだろ。
そう言っても今の中国には通用しない。
そういえばウズベキスタンで、「パキスタン中国間国境」を抜けるとき「FREE TIBET」のステッカーをかばんの奥底にしまっていたら三日間拘束された、という日本人に出会った。
「え、…拘束ってどんなだったんですか?」
「すいません…今はまだ話したくないです」
どうやらこの事件は世界のニュースで流れたという。
それからポツポツと彼が話してくれたことは、とりあえず生まれてからこれまで自分の人生全て、それから親兄弟から遠い親戚の職業まで全て、おおよそ自分にゆかりのある全てを吐かされ続けたとのことだった。
オリンピックを成功させるために、今の中国はそれくらいテロ防止に力を入れている。
これで世界はフェアにスポーツを競い合える。
でも、そこまでして開催するオリンピックに「平和」の文字はあるんだろうか。
僕は眉間に皺を寄せ、小難しいことを考えてる振りをしながら、そーっと屁をたれる。
満席の車内で屁みたいなテロリストは屁を垂れ続けた。
乗客は言う。
「まずはそいつを捕まえろ!」

中国新疆地区「カシュガル」に戻ってきた。

2008/07/24(木) 『#37.5ASIA 〜 タジキスタン』
『一本道が三本 後編』      7/23 ムルガーブ




次に目を覚ますと、今度は異様な光景だった。
停車したジープの先にはペンキの剥げた白い四角い建物と簡素なゲートだけがある。
その建物の屋上と前、ジープの後ろには男たちが立っている。
男たちはライフル銃を肩にぶら下げ、その顔は目だけの出たマスクですっぽり隠されている。
だからその目だけがぎょろりとこちらを観察している。
「………。」
表情の読めない人間は怖い。
僕の心臓が鳴り出した。
彼らは友好的なのか、それとも非友好的なのか、表情が判らなければ何も分からない。
やがてゲートの前の男たちと話していたドライバーが戻ってきてこう言った。
「ここからムルガーブだ」

バタフジャーンは主に7つの部落、部族に分かれている。
ここがその一つ「ムルガーブ」。

僕たちは指揮官のような一人だけ迷彩服を着た男にパスポートとパーミット(入境許可証)を見せると、ゲートが開けられた。

間もなく見えてきた「ムルガーブ」の町は廃墟のようだった。
どこもひっそりしていてあまり人気が感じられない。
思っていたよりも範囲は広いものの、どの四角い家も朽ち果てている。

やがて一軒の宿を見つけると、適当に町をぶらついてみた。

やがて野ざらしのバザールを見つけた。
「わあ外人だわ」
そこでは女性たちが遠巻きにこちらを眺め、「アッサローム」と挨拶をすると恥ずかしそうに笑う。
「おお、よく来たよく来た」
じいさんは握手を求めてくる。
子供たちはどの町に行っても後ろをついてくる。
またしばらく歩いてみる。
やっぱり四方をゴツゴツした岩ばかりの禿山に覆われ、よく澄んだ浅い川が流れている。
触れるとしびれるほど冷たい。
女たちはその川で洗濯物を洗い、子供たちはびしょびしょに濡れながらはしゃいでいる。
川の周りに出来た貴重な草原にはヤギや牛が放し飼いにされ、山犬は死んだ獣の肉にゴッゴッと食らいついている。
ここまできてやっと僕はその場に座った。
しばらくそのままにいると、肌寒くなってきた。
ウィンドブレーカーのジッパーを首元まであげる。
「あ、ここ富士山より高いんだ」
それより高い山々にここは見下ろされている。

夜になれば山犬だけが吠えている。
一匹が何かの拍子で吠え出すと、二匹、三匹、次々に連鎖して静かな夜がやかましくなる。
僕は宿の外でみのむしみたいに寝袋にくるまって寝っ転がっている。
しばらく空をじっと見ていると、星屑がゆっくりと回っている。
堂々とした天の川が一本道を走っている。
星屑ばかり眺めていてもすぐに飽きるので、とりあえず流れ星を20まで数えてみる。
ところで、もし今こんな格好で誰かに襲われでもしたら僕はみのむし同様手も足も出せない。
サンドバックもいいところだ。
でもまあそんな心配はいらないだろう。
まあ、つまりはこの町でもそう「危険」な空気ってのは感じられないわけで。

ゆっくり朝がやってくる。

2008/07/21(月) 『#35 ASIA  〜 タジキスタン』
『二つのタジクともう一つの国』 7/21ホールーグ




「ロシア語は喋れますか?装備はちゃんとしていますか?体調はいいですか?いいですか、これだけは忘れないでください。どんなに旅慣れていてもバタフジャーン自治区を中央アジアだと思わないでください。バタフジャーンに入ったらこちら日本大使館としても一切支援、援助は出来ないものだと思って下さい。一応一言だけ、“行くな”。それでは気をつけて行ってきてください」
ガチャンと電話は切られる。
日本大使館にタジキスタンの情報をもらおうと電話をすると、こんなコメントを頂いた。
やがて友昭君と僕を乗せたジープは発進する。

***********

タジキスタンは二つの国に分かれている。
西のタジクと東の山岳バタフジャーン自治区。
この二つ、VISA、国名は一つでも外国人登録、パーミット(入境許可証)は違う。
時計の針を一時間前へ。
これがバタフジャーンのローカルタイム。
流れる時間も違ってる。
「おお、山岳氷河だー!」
バタフジャーン自治区に一歩踏み入れれば、そこから8000m級の山々に見下ろされた「パミールハイウェイ」が始まる。
いつぞや習った世界の屋根、「パミール高原」とはここのことなんで。

***********

まずはタジキスタンの首都「ドゥシャンベ」から、バタフジャーン自治区の西の玄関口「ホールーグ」へ。
ジープはパミールハイウェイを目指して突き進んだ。
始めのうちは舗装された道が続いていた。
「・・・なんだ、大した事ない道じゃん」
余計に緊張した分、すぐに眠気が襲ってくる。

「・・・・・・・・・え」

やがて目を覚ますと、僕たちは荒い山に取り囲まれていた。
ジープは崖を削り取った荒い道に乗り上げている。
下を見下ろせば荒い川、上を見上げれば高い山、腕を見れば鳥肌が立っている。
山に弄ばれて、ジープは岩や陥没を避けながら走り、その度に僕らの体は大きく揺さ振られる。
道幅は狭い。
ところによっては車が2台交差すれば、どちらかは崖の下に行くことになる。
「ちょ、すごい道ですね」
隣でぽんぽん跳ねている友昭君に話し掛けると、当然「・・・すごいですね」と返ってきた。
「本当に峠を攻めてる、って感じだね」
「確かに!」
いや攻めてるのはドライバーだけで僕たちはヒャーヒャーと守り続けるだけだが。
「川、すご、色・・・」
赤。
荒れ狂った急流の河は赤かった。
赤い山の赤い泥が溶けて赤い水が流れて赤い河が流れてる。
どす黒い血のような赤色だった。
突然標高はガンと下がる。
丸みを帯びた石が河原に広がり、なんでかそのいくつかが誰かによって数段積まれてる。
そこに例の赤い河が流れ、「まるで三途の川みたいだ」とイメージさせる。
「綺麗だねー」
でも意外にその絵は綺麗だった。
そこで標高はガンと上がる。
山の断崖からまた山を見下ろす。
いつしか僕たちは無言になって、パミール高原を眺めていた。
やがて山の中に一つの大きなゲートが現れた。
そこには「バタフジャーン」の文字が描かれていた。
「そっか、やっとこっからがパミールハイウェイ本番なのか・・・」
迷彩服に機関銃をもった男たちにパスポートを見せると、僕たちはパミールハイウェイへと入っていった。
打ち捨てられた戦車が狭い山道に放られている。
土埃を被った姿は、この土地の内戦を何も知らない僕たちに衝撃を与える。
やがてジープは停まる。
何事かと外に出ると、道は一つの看板によって封鎖されていた。
そこに中国語で書かれていた文字を読む。
「前方爆破禁止通行・・・え!」
「落石っすか!」
「すごいっすねー!」
能天気に車に戻ろうとすると、ボンと音がした。
後ろを振り返ると、崖の斜面で土煙が上がっている。
「前方爆破だ…」
それを見て感じるのは「緊張」というよりも爆発というものを知らない僕には「興奮」だった。

空も山も群青に染まり始めた頃、(高い山に遮られて、ここに夕陽はなかった)ドライバーが河の向こうを指差して、僕たちに叫んだ。
「アフガニスタン!」
僕たちはその先をしばらく眺め続ける。
ここから何時間もアフガンとの国境すれすれを走っていく。
さっきまでの山と今の山に違いはない。
それでも「アフガンの山」というだけで何も知らない僕には鈍い思いが走る。
「…アフガンねぇ」
二人、意味なく呟いて、また無言になる。
何も知らない僕は何も知らないまま河の向こうを眺め続けた。
それなりの想いとそれなりの正論を何度か反芻する。
辺りが闇になった頃、冷たい雨が降り始めた。
「どーせ明日にゃ忘れてんだろうなぁ、こういう気持ちは」
雨に打たれながら、僕は野糞をたらす。

深夜2時、僕たちは「ホールーグ」に着いた。

2008/07/14(月) 『#28 ASIA 〜ウズベキスタン』
『東への交渉』            7/14ヒヴァ




「15000ソム(≒1500円)だ!」
「いや、5000ソムだ!」
「いや、15000ソムだ」
「いや、インフォメーションのお姉さんが5000だと言ってたんだ!なんでそんなに高いんだ、5000だ!」
「だめだ、15000だ!」

今回の旅行はヒヴァを最西端にすることに決めた。
ここを西にあとは5ヶ月かけて上海、東京に戻っていく。
ということで今日は東へ向かう第一歩目なんで。
次の町は「ブハラ」。
そして今は「ヒヴァ発ブハラ行」のバス停で運転手ともめている。
「じゃあいいよ、6000だすよ!」
「じゃあ13000だ!」
「いや、いって8000!」
「じゃあ18000!」
「だから、なぜ上がる!」

もう1時間ばかりこんなことを繰り返している。
「…ああ、もう!」
頭がヒートアップするたびに日陰で休む。
交渉は熱くなり過ぎちゃいけない。
クールに、クレバーに。
それにしてもこの運転手、「ヒヴァ発ブハラ行」が一日一本しかないのをいいことになかなか交渉に応じようとしない。
何か良い方法はないか。
頭を巡らすも、何も浮かばない。
だったら当たって砕けるしか道はない。
バス出発まで時間はもう1時間を切っている。
気合とニコチンを入れなおすと、再び交渉に向かう。
今度は下手ででてみよう。
「…分かったよ、10000払うからさ」
「いやだめだ!お前はもうだめだ!」
「だからなんで!10000なんだからいいだろ!」
「いやだめだ!もう席は埋まった」
「…え?」
「席は埋まった」
「…1、12000出すよ!」
「席は埋まった」
「13000?」
「席は埋まった」
「……」

バックパックを背負いなおして僕はまた来た道をとぼとぼと戻る。
宿のおじさんが不思議そうに僕に近づく。
「どうした?」
「ハハハ、フルだったよ、…もう一泊させてください」

帰国するにはまだ早い。
まだ東には向かえない。

2008/07/13(日) 『#27 ASIA 〜ウズベキスタン』
『ヒヴァでの贅沢』             7/13ヒヴァ




「今日は特別暑いね」
昨日宿の兄さんがそう言っていたが、そんなことはない。
今日だって特別暑い。

暑い国にやってきて面白いのはなんといっても「洗濯」で。
泡立った石鹸をすすぎ落とすと、そのまま洗濯紐に掛ける。
水は小気味良い音を立てながらボタボタボタボタッと落ちていく。
落ちた水滴は地面に染みをつくり、あっという間に消えていく。
「こりゃ、洗濯日和だわ」
タシュケントからの移動で汗にまみれたジーパンを久しぶりに洗い、一切絞りもせずにそのまま紐に吊るす。
少し青みがかった水がダーっとコンクリートを黒くし、すぐに太陽が灰色に戻す。
「あはは、おもしれーな」
2時間ほどの散歩から帰ってくると、ジーパンはカラッカラに乾いている。
「太陽、贅沢につかってんなー」

夜になればインスタントラーメンにジャガイモ、タマゴ、マカロニをぶち込み、コトコトと煮立てたら、城壁の目の前でそれをすする。
世界遺産を眺めながら、すするインスタントラーメン。
「世界遺産贅沢につかってんなー」
今夜も服ごと冷水を浴び、ベッドをびちゃびちゃに濡らして快適な眠りにつこう。
そうしよう。

2008/07/11(金) 『#26 ASIA 〜ウズベキスタン』
『タイム トリップ』              7/12ヒヴァ




「あっはっは!」
暑いとかそういうレベルじゃなかった。
これが噂の「ヒヴァ」か。
肌は「焼ける」よりも「焦げる」に近い。
肉を5,60度で炙り続ければ料理が出来る。
なんとかこの暑さから非難しようと日陰に移って壁に寄りかかるとそれがまた熱い。
「あっはっはっは!すげー暑ぃ!」
そうなると不思議なもんで僕は自然と笑い声を上げてしまう。
口元はにやりと曲がる。
過酷ならば過酷も良いかと、楽しくなってくる。

***********

「なんでこんな時期に来ちゃったかなー」
7月に入り、ウズベキスタンは今「酷暑期」に入った。
その中でもウズベキスタン西部「ヒヴァ」は暑く、60度ちかくをマークすることもある。
ここら一帯は年間300日は晴れどころか雲ひとつない日が続く「ホレズム州(太陽の国)」と呼ばれている。
そしてここには残虐で知られたチンギスハーン率いるモンゴル帝国の一つ、「古代ホレズム王朝」の遺跡群が小さな町に所狭しと建てられている。
中央アジア最大の奴隷市場都市、城壁内の町。
町自体が屈強な城壁内にあって、まるごと「世界遺産」「博物館都市」に認定された。
「…おお、すっげー!綺麗だなー」
城壁を越えるとそこには異国が広がっている。
国というよりも時間が異なっている。
タイムスリップ。
競い合うように土と煉瓦で造られた立派なモスク、メドレセ(神学校)、ミナレット(尖塔)のモノトーン世界にターコイズブルーのモスクタイルが鮮やかに輝いている。
「ここで奴隷が売買され、ここで毎日公開処刑がされていたのかあ」
強靭な肉体を持つロシア人はラクダ4頭で売られ、処刑は見せしめの出血死が多かったという。
隠れて煙草、酒をやった者は即、口を耳まで切り裂かれニタニタと笑い続けさせられる。
「へぇへぇ、なるほど」
何百人も身投げさせられたミナレットも今は観光の目玉の一つで。
僕はそこに登り、夕日を見つめては「綺麗だ」と何度も呟く。
時間ってのは不思議なもので。
ミナレットから眺める夕日は綺麗だった。
完璧な夕日は息を呑む。
スライム型のモスクに日は落ちていき、アラビアンナイトを想像させるシルエットにため息をつく。
「早く沈んで涼しくなれ」と思っていた太陽も「もっとゆっくり、もっとゆっくり沈んで」と矛盾したことを思い始める。
月にはもっと満ちてくれと願う。
青い月明かりに照らされたモスクは美しく、時を忘れて眺めていられる。

土産物の変わりに奴隷が売られていた時代に思いを馳せてみる。
だめだ。
何も想像できない。
ただ、時間って不思議なもんだと城内をしばらく眺めていた。

2008/07/10(木) 『#25 ASIA 〜ウズベキスタン』
『悪くはない夜』             7/11タシュケント




「…やばいなこのままじゃ」
一歩列車内に足を踏み入れると、意識が飛びそうになった。
逃げようにも逃げ場はない。
隣ではあまりの暑さに赤ん坊が泣きわめいている。
母は涙と汗をぬぐいながら、なだめている。
温度も湿度も体験したことのないものだった。
「もう一つ上のランク買っとけば良かったな」
本日、タシュケント発の列車に揺られて、この旅行の最西端「ヒヴァ」を目指した。
「まあ、19時間半だし」
システムも分からぬまま、一番安い席を予約した。
そこに一歩踏み入れると途端に後悔する熱気が僕を迎えてくれた。
席が寝台ではなく座りなのはいい。
でもその席がないのはなんでだろう。
どこぞの家族に占領されていた。
「ここ俺の席でしょ」
いくら言っても動かない。
しまいには僕が怒られているような気がする。
「…なんでよ」
周りの人たちの助けを借りてなんとか詰めてもらうと、次の疑問が沸いてきた。
他の席を見ると3人ずつなのに、どうしてここには5人いるんだろう。
二人のおばちゃんと二人の子供、そして僕。
今は好きな娘とだってくっつきたくないのに、僕は今夜知らないおばちゃんと肌を密着している。
シャツはあっという間に汗まみれになり、今はジーパンも絞れるくらい濡れている。
これは僕の汗か、あなたの汗か。
もうやむを得ない。
意図的に意識を飛ばし、神経を集中させる。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
「もう限界」
たまらずに上半身裸になった。
するといくらか開放感がでてくる。
でも、これでより直におばちゃんの肌を感じることになる。
でももう濡れたシャツなんか着たくない。
どうすればいい。
「おばちゃん、ここは僕の席だからもうちょっとそっちに行ってくれないか」
ロシア語を勉強してくればよかった。
「んん、成す術なしか」
と、上を仰ぎ見るとそこには荷物棚があった。
当然荷物が乗せられているが、まだ余裕がある。
「………」
人の荷物を端に寄せると、僕は棚の上によじ登った。
家族がこっちを見て笑っている。
それに僕は得意な笑顔を返す。
「うん、これで寝台だ」
暑さにあえぎながら、目を閉じると思いのほか居心地は悪くない。

「あれ、けっこう長いこと寝てたんだな」
起きてみるとみんなの寝息が聞こえてくる。
夜になり暑さはかなり和らいでいる。
下へ降りてみると、座席は完全に占領されていた。
「まあ、もう棚の上でいいか」
外の景色でも眺めようとマグカップにコーヒーの粉をぶち込み、熱湯を注ぐと、連結部に移動した。
タバコに火をつける。
「…うまい!」
黒い地平線の上には北斗七星とオリオン座が貼り付けられている。
あとは何も見えない。
「まあ、やっぱ列車の移動は悪くはないな」
すがすがしい気分で席に戻ってみると家族の一人の姿が見えない。
少年、少年はどこに行った。
やっぱりわざわざ僕がつくった棚席で気持ち良さそうに寝息を立てている。
「…可愛い寝顔だな」
本当の感情はぐっと押し込めて、連結部で眠ることにした。

2008/07/09(水) 『#24 ASIA 〜ウズベキスタン』
『ウズベク成金と都会砂漠』       7/10タシュケント



ウズベキスタンの通貨は「Us(ウズベキスム)」。
10Us≒1円で、最高紙幣は1,000Usまでしかない。
「100$換金しよう」
日本円にして約10,000円分の換金とすると、受け取る額は10,000Us。
だから少なくとも100枚の札が返って来る。
100枚あればあおぐこともシーツにすることも出来る。
「ちょっと泳いでみようか」
泳ぐことも溺れることも出来そうで。

***********

「水、水だ、水」
首都「タシュケント」は都会でも、まるで砂漠で。
近場のモスクやメドレセ(神学校)を観光しに行くも、噴水、川、壊れて湧き出る水道にシュプリンクラー、水という水を見つけるたびに頭から水を被る。
「ああ、生き返るわー!」
それでも5分後にはまた死んでいる。
水の変わりに汗が滴り落ちている。
ターコイズブルーに輝くモスクは涼しげだが、涼しくはない。
今は札より水で溺れたい。
昼間の2時頃はいつもそう思って歩いてるんで。

7月絵日記の続き


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