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2008/06/12(木)
『#2 ASIA 〜中国』
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6/9 『西へ西へ』
昼前に起きると、そこは上海。 海外初日の朝ってのはいつも不思議な気分で。 天候はほんのり雨。 いいや、傘なんていらねーや。 ぶらぶらとショウロンポウを食べに行こう。 にしても、半年前に来たばかりなので、上海でやりたいことはもうあんまない。 ってことで「トンコウ」へ行こうと思う。 35時間、3300キロを一気に西へ駆け抜けよう。 四川で足止めはされたくない。
20時48分、やがて一車両3段、22列の寝台車はゆっくりと走り出す。 夜行列車はやっぱりいいな。 長距離であればあるほど、旅を感じる。
船から列車へ。 パキスタンに入るまでは移動移動の旅が続く。 今はただ、西へ西へ。
6/10 『初めてのウイグル語講座』
車両と車両の連結部分でタバコをふかしていると、若い女の子3人に声をかけられた。 ウイグル自治区に住む20代前半の女の子たち。 シュイジャンナ、メイリー、ジョウジャオー。 シュイは片言の日本語が話せた。 だから漢字、日本語、英語で僕たちは必死に会話する。 特に必死なのは僕。 男にとって地元の言葉に慣れるにはこれが一番いいんじゃないか? なんとかこの女の子たちを笑わせたくなる。 いわゆる中国区に比べ、ウイグルのあたりまでくると皆、目が大きくなり顔が整ってくる。 いわゆる美人さんが多いんで。
彼女たちは何度も聞いてくる。 「あなたは上海には手漕ぎボートで来たの?」 僕がその度に「NO!!」と大袈裟に答えれば、彼女たちは大きく笑う。 会話が盛り上がった頃、彼女たちはまた聞く。 「タカシは上海には泳いできたの!?」 お、そうきたか。 僕は十分に間をとって今度は「YES!!」と答える。 どうだ。 彼女たちの顔を見ると、会話はもう次に流れていた。
「ウイグル語教えてよ」 そう頼むと、3人の中でも特に陽気なメイリーが買って出てくれた。 「力を抜いて」と優しく僕の手を取る。 初めて書いたウイグル文字はなんだかへにゃへにゃとしていた。 「メイリー、これはなんて意味?」 「メイリー」
彼女の名前の書き方を覚えた。
6/11 『砂』 早朝5:50、「トンコウ」の近く「柳園鎮駅」に着く。 ここは甘粛省の西端あたり、ウイグル自治区の目の前だ。 今の時期、昼は37度を越すそうだが、朝は寒い。 バックパックから上着を一枚取り出し羽織ると、陽気なタクシーの運ちゃんと交渉を始めた。 「よし、25元で」 やがて乗客4人が集り、「行くぞ!」と大きな掛け声が響く。 タクシーはゴビ灘を駆け抜けた。 その間、123キロ、延々と一本道が続いた。 地平線、地平線、地平線。 いつの間にか眠りに落ち、、目を覚ませばそこが「トンコウ」だった。
ここには「鳴沙山」という砂漠が広がっている。 「すっげー!圧巻だー!!」 砂に足をとられながら登る。 息を切らし、ようやく辿り着いた景色は細かい砂がジェラートのように滑らかにそびえ、壮大だった。 遠く眼下にはラクダが群れ、三日月の形をしたオアシス「月牙泉」が輝いている。 「早く落ちないかな」 19時。 砂山の頂上で僕は「砂漠に落ちる夕日」と「砂漠に浮かぶ月」を心待ちにした。 でもまだ陽は沈まない。 20時。 太陽はまだ西の空に存在している。 昼のような明るさだった。 「これは白夜か…?」 ここを21時過ぎには出なければ、バスがなくなってしまう。 焦りはじめた21時、夕焼けの変わりに見えたのは、遠くの町が真っ白になっていく姿だった。 町、道、森が白い靄に飲み込まれ、それはどんどん近づいてくる。 「…あ、やば。砂嵐だ!降りなきゃ!」 冷たい風が吹いたかと思うと、あっという間に白い靄に飲み込まれていた。 「砂嵐、すっげー!」 思ったほど辛くはなかった。 嬉々と砂山を滑り落ち、町に帰ってきた。 夜11時、ようやく待ちは暗く包まれた。
砂漠の夕焼けは見れなかった。 まあいい。 明日、夜行バスに揺られ「ピチャン」へ向かおう。 そこではまた違った砂漠の夕日に出会える。 西へ西へ。
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