|
2008/05/24(土)
『ショットガンに思いを馳せて』
|
|
|
頭が痛い。 昨日を思い出すと、吐き気がする。 胃がぎゅるりと絞られる。 ズキズキ痛む頭を抱え、それでも昨日を思い出してみる。 帰らなきゃと必死で自転車漕ぎながら、ボタボタ吐いてたな。 それが最後の記憶。 あとは、あとはああ、もう覚えちゃいない。
とかなんとか。 丸い刃はなんとも素敵で。 今日はまあ、そんなお話。
***********
「歌舞伎町」「バーテンダー」 そのいかがわしい響きに憧れ、19歳。 とくにやりたいこともなかった僕はとあるバーの面接に向かった。 ネオンがギラギラ輝く歌舞伎町、 小心もんはびくびくと歩く。 「オニイサン、寄ってってー、いい娘いるよー」 ポン引きの兄さんが慣れ慣れと話しかけてくる。 僕は表情を引き締め、狭い裏路地を駆け抜ける。 ・・違う、ここじゃない。 「オニイサン!」 違う。 「オニイサン。」 違う。 「オニイサン?」 ここじゃない。 3度、4度と同じポン引きの前を通ると、とうとう彼に心配され始めた。 僕は道に迷っていた。 面接場所となるそのバーがどこにあるのか分からない。 今となっては本当にあるのかも分からない。 「どっか店探してんの?」 勇気を出して、求人広告の切れっ端を彼に見せた。 「ああ、そこの地下二階だよ」 「あ、ありがとうございます!」 「はい、ごゆっくりー」
***********
狭く薄暗い階段を降りると、その店はちゃんとそこにあった。 「・・なんだ、ちゃんとあるんじゃないか」 架空の店かと思ってた。
チリンッ
扉を開けると店の中は薄暗い。 ボンボン、ボンボン、なんだか分からないレコードがかかってる。 店内には趣のあるテーブルとアンティークオブジェと大量のレコードとスピリッツ、リキュール、バーボンの瓶。 これが何十年と続いているJAZZ&CLASSIC BARか。 ・・・オッシャレー。
***********
それから2年ほどここで働いた。 ここは僕のイメージを裏切って、すごくフランクな店だった。 制服は私服に黒いエプロン。 シェフは出勤すると客のオーダーもそっちのけで3時間ほどまかないの準備に精を出す。 バーテンダーはあまり客の話に耳を貸さない。 従業員がプライベートで飲みにくれば96度のスピリッツに火をつけ、こぼし、服を燃やす。 盛り上がればすぐシャッターを降ろし、呑み屋へと繰り出す。 お会計は問答無用の一発勝負のゲームで負けた者。 2ヶ月先の給料も飲み代に消えていく。 すごくやんちゃな店だった。 だから従業員もやんちゃな人たちばかりだった。 それで死にかけた人もいるし、精神破壊した人もいる。 「・・・なんだ、この店は」 小心もんは毎日そんなことを思っていた。 「・・・俺、だめだ、ここ」 2年間毎日思っていた。 それでもみんな、人に迷惑をかけた分人を大切にする。 さりげなく当たり前のように手を差し伸べる。 すごく尊敬できる人たちでもあった。 そんな店だったから、僕が入店して二年、何十年も続く「JAZZ&CLASSIC BAR」の長い歴史はあっけなく終わった。 で、次の日に「J-POP BAR」が幕を開けた。 なにがなんだか分からない。
***********
JAZZ&CLASSIC BAR閉店にあわせて、みんなバラバラになった。
***********
「おお、タカシ、大人になったなー」 「わあお、ご無沙汰してます!」
6年ぶり。 懐かしの7人が渋谷沖縄屋、下北沢BARと集まった。 27の僕が最年少で、先輩方は皆30を過ぎたところ。 でも 「変わってねーなー!」 奥さんや子供が出来た人もいれば、留学していた人、自分のBARをやってる人もいる。 でも 「変わってないっすねー!」 気分が盛り上がればその度にショットガンがくる。 ゴールドラムとソーダをなみなみとショットグラスに注がれる。 一同、グラスに手の平で蓋をし、テーブルに叩きつけ、一気に飲み干す。 くあっ、喉が焼ける。 「おめでとー!」 何が。 分からないがめでたい。 「みんなおめでとー」 何が。 忘れてしまったが、めでたい。 とりあえず。 「また数年後ー!」
破天荒な先輩たちだったが、僕にとっては大学のようなところだった。 色々な事を学ぶ。 その一つは、年をとるとみな、魅力的な丸みを帯びてくること。 で、その代償はもう一生酒は飲まないよ、というこの状態。
とかなんとか。 では。 数年後、またみんなでお会いましょう。
|
|
|
|