マガッタ玉日記
最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2008年5月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2009/03/20 『移動のお知らせ』
2009/01/07 『どうしようもないね、こればっかりは』
2009/01/03 「どうしたもんかね、こればっかりは」
2009/01/01 『新年明けましておめでとうございます』
2008/12/31 『2008』

直接移動: 20093 1 月  200812 11 10 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月 

2008/05/30(金) 『送別会』
なんだか恥ずかしいけど、
僕はたくさんの人に愛されている。

***********

「28年、一度リセット」
今回の旅行にはそんな気持ちがある。
何が不満だ、何を白紙に戻す、というわけではないが、なんとなく、ここらでもっかい身軽になってみたくなった。
自分の人生、一旦休暇。
これからの半年間は空白で、
今日の明日は半年後、
そんな風に考えている。
それは甘いよ、そんなんじゃ社会は渡っていけないよ。
もちろんこの半年で色々失うものもあるだろうが、でもそんな感じで。
今、自分はどんな状況にいるのか。
自分でつくったこの流れに流れていけるのか。
僕は闇雲に走りながらだと、景色がうまく眺められない。

もう学生じゃなくなったほとんどの人たちは半年も休暇をとることは出来ない。
僕だって例外なく。
だから僕は1年前からこの計画を進めた。

進めていくうちに、どうやらこの半年がすごく大きなものになってきてしまった。
少しばかり悩んでいたことがいくつかあった。
旅中にゆっくり向き合ってみよう、そう思っていた。
でももうほとんどの答えは出てしまった。

自分の中で9割決まっていた答えも、ここ数日たくさんのひとたちに送別してもらって10割になっていた。
やっぱやりたいことは一つなんだな。

これで、この半年は本当にただの「旅行」になった。

もう、すごく、ありがたい。
人に愛されてることに気付けるってのは、すごく素晴らしい。

2008/05/26(月) 『不安定な人間』
自分と自分が一致しない時は不安で。
だから自分とうまい付き合い方を覚える。
そしたら自分と自分が一致する日々が続いた。
安心安心。



暇になった。

***********

出発までカウントダウンがかかった。
準備に追われている。
追われていて嫌んなる時もあるが、でもこれは最大限遊ぶために必要なんだからしょうがない。
でも日が迫るに連れて「やっと!」より「もう・・・」が混じりこんでくる。
出発が近づくに連れて色んな国の色んな情報が仕入れられていく。
アジアはグチャグチャしてて、やっぱ不安になる。
ニュースを見てても
ミャンマーのサイクロンで不安は煽られ、
インドネシア国家に憤って、
中国四川地震で胸が痛くなる。
それどころかどんなニュースを見てても感情が揺さぶられる。
不安定。
安定させる為に心ない義捐金をして、神頼みをする。
「どうか、無事に旅が出来ますように」
小心者。

いつもと違って、今回はアジア十数カ国を回る予定で。
情報と不安で頭はパンクする。
うっちゃっちゃえ。
CDを30枚ほど借りて、全てアイポットにいれる。
お気に入りからお薦めまで何百曲と聞いて、感動して、泣きそうになって、ようやく気付く。
俺はようは浸りたいんだな。
たくさんの友達たちが送別会を開いてくれる。
「ありがとう!遊びいくのに集まってもらっちゃって」
そう自分で言って気付く。
そうか、俺は遊びに行くんだった。
自分自身なんで行くんだかわからんし、行く意味もわからんし、これのせいでご破算になることもあるし、と思ってみても、ようはただ「遊び」にいくんで。
なんで「遊ぶ」で、感傷的になるんよ。
こりゃいかん。
不一致。

で、思う。
最近安定してたから、多分こうなりたかったんだな。
不一致。
不安定。
ドキドキしやすい。
答えを追う力はあっても、出す力が僕にはまだありゃしない。

とかなんとか。
ゴチャゴチャ言いながら、遊びに行こう。
きっと80年の中でとびきり大切な半年が始まるぞ。

2008/05/25(日) 『ぬるいビールを君と』
世界地図を畳に広げる。
「俺はこっからこう行くでしょ、そんでそのあとはこの国に入るかなあ」
「あ、この国いいねー!」
世界地図を指差しては、話を進める。
うん。
ワールドワイドな会話ってのは、すっげードキドキするよ。

***********

「いいなー、俺も行きたーい!」
「いいなー、私も行きたーい!」
旅行の話をしているとよく出てくる台詞で。
その度に僕は「お、行こうよ」という。
でもそんな簡単な話じゃない。
「行く!」という人もいるが、分かってる。
「行こうよ」「うん」で簡単にいけるほど、生活ってのは簡単じゃない。
だからそれはその場の楽しい会話なんで。
でもどうやら。
本当に来る人もいるそうで。

伊藤摩美。
森山光治良。

「行こうよ」
「うん」

楽しい会話のあと、数日後に会うと二人は計画を立て始めていた。
「ビザってどうやって取るの?」
「バックパック買ったよ!私ちびっこいから40リットルでもすげえでかいの!」
「タカシ、どこで落ち合う?」

そこで僕は思う。





ああ。
バカだな。
この人たち。



でも。
みんなとどっかの国のどっかの町で本当に落ち合えたら楽しいよな。
「おお!いたあ!」
「あっはっはっは本当に会えたあ!」
出会っただけでもう完成な。

そん時はどこぞの国のぬるいビールでもおごってあげよう。
その代わりに君はあったかいみそ汁を持ってきておくれ。
それはいい。
それは楽しい。

2008/05/24(土) 『ショットガンに思いを馳せて』
頭が痛い。
昨日を思い出すと、吐き気がする。
胃がぎゅるりと絞られる。
ズキズキ痛む頭を抱え、それでも昨日を思い出してみる。
帰らなきゃと必死で自転車漕ぎながら、ボタボタ吐いてたな。
それが最後の記憶。
あとは、あとはああ、もう覚えちゃいない。

とかなんとか。
丸い刃はなんとも素敵で。
今日はまあ、そんなお話。

***********

「歌舞伎町」「バーテンダー」
そのいかがわしい響きに憧れ、19歳。
とくにやりたいこともなかった僕はとあるバーの面接に向かった。
ネオンがギラギラ輝く歌舞伎町、
小心もんはびくびくと歩く。
「オニイサン、寄ってってー、いい娘いるよー」
ポン引きの兄さんが慣れ慣れと話しかけてくる。
僕は表情を引き締め、狭い裏路地を駆け抜ける。
・・違う、ここじゃない。
「オニイサン!」
違う。
「オニイサン。」
違う。
「オニイサン?」
ここじゃない。
3度、4度と同じポン引きの前を通ると、とうとう彼に心配され始めた。
僕は道に迷っていた。
面接場所となるそのバーがどこにあるのか分からない。
今となっては本当にあるのかも分からない。
「どっか店探してんの?」
勇気を出して、求人広告の切れっ端を彼に見せた。
「ああ、そこの地下二階だよ」
「あ、ありがとうございます!」
「はい、ごゆっくりー」

***********

狭く薄暗い階段を降りると、その店はちゃんとそこにあった。
「・・なんだ、ちゃんとあるんじゃないか」
架空の店かと思ってた。

チリンッ

扉を開けると店の中は薄暗い。
ボンボン、ボンボン、なんだか分からないレコードがかかってる。
店内には趣のあるテーブルとアンティークオブジェと大量のレコードとスピリッツ、リキュール、バーボンの瓶。
これが何十年と続いているJAZZ&CLASSIC BARか。
・・・オッシャレー。

***********

それから2年ほどここで働いた。
ここは僕のイメージを裏切って、すごくフランクな店だった。
制服は私服に黒いエプロン。
シェフは出勤すると客のオーダーもそっちのけで3時間ほどまかないの準備に精を出す。
バーテンダーはあまり客の話に耳を貸さない。
従業員がプライベートで飲みにくれば96度のスピリッツに火をつけ、こぼし、服を燃やす。
盛り上がればすぐシャッターを降ろし、呑み屋へと繰り出す。
お会計は問答無用の一発勝負のゲームで負けた者。
2ヶ月先の給料も飲み代に消えていく。
すごくやんちゃな店だった。
だから従業員もやんちゃな人たちばかりだった。
それで死にかけた人もいるし、精神破壊した人もいる。
「・・・なんだ、この店は」
小心もんは毎日そんなことを思っていた。
「・・・俺、だめだ、ここ」
2年間毎日思っていた。
それでもみんな、人に迷惑をかけた分人を大切にする。
さりげなく当たり前のように手を差し伸べる。
すごく尊敬できる人たちでもあった。
そんな店だったから、僕が入店して二年、何十年も続く「JAZZ&CLASSIC BAR」の長い歴史はあっけなく終わった。
で、次の日に「J-POP BAR」が幕を開けた。
なにがなんだか分からない。

***********

JAZZ&CLASSIC BAR閉店にあわせて、みんなバラバラになった。

***********

「おお、タカシ、大人になったなー」
「わあお、ご無沙汰してます!」

6年ぶり。
懐かしの7人が渋谷沖縄屋、下北沢BARと集まった。
27の僕が最年少で、先輩方は皆30を過ぎたところ。
でも
「変わってねーなー!」
奥さんや子供が出来た人もいれば、留学していた人、自分のBARをやってる人もいる。
でも
「変わってないっすねー!」
気分が盛り上がればその度にショットガンがくる。
ゴールドラムとソーダをなみなみとショットグラスに注がれる。
一同、グラスに手の平で蓋をし、テーブルに叩きつけ、一気に飲み干す。
くあっ、喉が焼ける。
「おめでとー!」
何が。
分からないがめでたい。
「みんなおめでとー」
何が。
忘れてしまったが、めでたい。
とりあえず。
「また数年後ー!」

破天荒な先輩たちだったが、僕にとっては大学のようなところだった。
色々な事を学ぶ。
その一つは、年をとるとみな、魅力的な丸みを帯びてくること。
で、その代償はもう一生酒は飲まないよ、というこの状態。

とかなんとか。
では。
数年後、またみんなでお会いましょう。

2008/05/23(金) 『今日は汗かいたなあ』
あれ、ところで「コーラ」ってなんだべ。

お茶なんかは茶ッパとお湯でできるじゃない。
紅茶なんかも茶ッパとお湯でできるじゃない。
そこにミルク足しゃ、ミルクティじゃない。
レモン足せば、レモンティじゃない。
そんな感じでコーヒーは珈琲豆とお湯でできるじゃない。
ジンジャエールなんかは生姜と炭酸水でできるじゃない。
だいたいの飲み物の作り方は知ってるじゃない。


じゃ、「コーラ」ってなんだべ。
コーラってどうやってつくってんだ。
主成分、なんじゃ。

いやあ、それにしても晴れたな今日。
29度。
真夏日一歩手前なあ。

そして。

沖縄梅雨入りしたそうで。
昨日のこと。

2008/05/22(木) 『エタノールの匂い』
エタノールの匂い。
みんなには嫌な匂い、
医者には「仕事」の匂い、
当たり屋には「金」の匂い、
僕には「助かった」の匂い。

病院の匂いを嗅ぐと、僕はいつも「助かった」と思う。
体調がすこぶる良くても、怪我してなくてもいつも「助かった」と思う。
ただ見舞いにいっただけでも「助かった」と思う。
僕はたまに、用もないのに大病院の待合室のソファに腰掛けている。
心底落ち着くんで。
これはもう刷り込まれた感情かもしれない。
とにかく僕の小学時代の思い出は病院ばかりで。

とかなんとか。
今日、先輩のお見舞いに行って来たんで。

***********

午後4時。午後5時。午後6時半。
三度に渡って、とある先輩の病室を訪れた。
「あの人、手術するらしいんだよ」
人づてに聞いたその入院はシャイな先輩にとって僕なんかが行ってどんなもんかとも思ったが、
まあ細かいことはいい。
来ないよりは来てくれた方が嬉しいに決まってる。

午後4時。
まだ空が明るいうちは、病院内の空気も明るい。
お年寄りたちが楽しそうに話している。

僕が到着した時も病院内はまだ明るかった。
が、まだ病室に先輩の姿はなかった。
「まだ手術中ですか?」
ナースステーションにいき、看護婦さんに尋ねる。
「そうですね」
「何時頃に戻ります?」
「んん、もう終わってるはずなんで5時には確実に戻ってると思いますよ」
そして5時、まだ病室に先輩はいなかった。
しょうがない。
差し入れの漫画10冊を枕元に置くと、僕は病院を出た。
そして6時半。
辺りは暗く、外来患者もいなくなり、病院内の雰囲気も変わっていた。
ひどく寂しい雰囲気。
幼少時代の感覚が込み上げてくる。
そうそう、この時間帯はどんどん寂しくなってくるんで。
夜が来るのが嫌だったのを思い出す。

病室を訪れると先輩は眠っていた。
顔を覗き込むとひどく疲れていた。
寝息は透明なマスクに白い靄をつくっていた。
なにやらよく分からない管数本が先輩の布団につながっていた。
思っていたよりも症状は重いようだった。
なんだかショックだった。
置手紙を書くと、部屋を出る。
とその時「中村?」と先輩が目を覚ました。
「あ、すいません。起こしちゃいました?」
「大丈夫だよ」
先輩の声はひどく小さかった。
「麻酔まだきいててさ」
珍しく無精ひげが伸びていた。
「昨日から入院してんだけど、1時間で飽きちゃったよ」
日頃からシャイな先輩は照れ臭そうに現状を話した。
どうやらまだ体は起こせないようだった。
術後すぐ、ということで僕は早々に退散した。
「じゃ、俺、帰りますね」
先輩は手を差し伸べてきた。
きつく握手。
「ありがとな。本当嬉しいわ」

大人も子供も変わらない。
入院中ってのはどうにもナーバスになっちまう。
でも僕は病院が大好きだ。
賑やかな奴らでも連れて、また顔を出そう。

2008/05/19(月) 『家を買う』
今日、家を買った。
一括現金払い。

***********

ここ数ヶ月、
週に一度はアウトドアショップに通い、
眺めては溜め息、
眺めては溜め息をついていた。
ずっと欲しかったあの「寝袋」。

欲しい。

今の寝袋ってのは驚くほど小さい。
煙草を三個積んだ大きさ。
トイレットペーパーを二個積んだ大きさ。
それくらい小さく収納出来る。
これで世界中が宿になる。

欲しい。

これだけでマイナス5,6度まで対応出来る。
深夜に到着した駅でも凍えるような山小屋でもこれがあれば一安心。

ほ、欲しい。

ほすぃ!
すんごくほすぃ。
こんなにほすぃがるのは珍しい。
とにかくすんごくほっすぃ。

でもこの寝袋は我が家の家賃と同じくらいする。
物によってはその倍もする。
路上で寝ちゃえよ、山小屋で凍えちゃえよ、男だろ。
僕はよく「男」を楯に我慢する。
物欲を斬りつける。
でも、それでも、今回はやっぱりほすぃ。
男らしくなくてもいいからほっすぃ。
ほっすひぃ。

「これ下さい!」

僕の家。
家は男の夢だ。
一国一城の主だ。

今日、家を買った。

いつか妻と子供をここに呼ぼう。

2008/05/17(土) 『戻る還暦者』
人生ってのは色々ありまして。
たとえば見知らぬ誰かの人生を紐解いて見ましても、
そこにはたくさんの喜怒哀楽、紆余曲折がありまして。
人には色々ございます。
それでも誰もが巡り巡って、結局生まれた頃に戻ってゆきます。
つまり「赤ちゃん」に戻っていくのでございます。

60。
還暦。
この頃から人は赤ちゃんに戻ってゆきます。
そうそう。
5度目の生まれ干支を迎えた還暦者は祝いに赤いチャンチャンコを着るといいます。
何故、赤いチャンチャンコを着るのか。
略してみればよく分かります。
赤いチャンチャンコ、あかいチャンコ、アカイチャン、
結局人は「赤ちゃん」に戻るのでございます。
この風習はここから来ているのでございます。
これを「60歳の赤ちゃん説」と申します。
あ。
一つ。
僕はよく誰の利益にもならない嘘をつく。
それっぽぉい嘘で人を騙すことが好きだ。

なんだ「60歳の赤ちゃん説」て。

***********

とかなんとか。
親父がめでたく還暦を迎えた祝いを本日やりまして。
宮城県秋保温泉の旅館でやりまして。
飲めや唄えやをやりまして。
私はほどよく酔っ払いまして。
親父はそうとう酔っ払いまして。
なんともご機嫌でして。
0歳の孫にちょっかいを出しては泣かれ、
ちょっかいを出しては泣かれ、
それでもめげずにちょっかいを出してまして。
今夜の親父の笑顔はなんとも幸せそうでして。
息子としては嬉しい限りでして。
その後、親父と大浴場の温泉に入りまして。
湯めぐりをしまして。
僕は先にあがりまして。
部屋に戻りまして。
しかし30分待っても親父は帰ってきませんで。
ついに心配になって見に行きまして。
そこでは親父が倒れていまして。
「おい親父大丈夫か!」
声をかけまして。
「んん、大丈夫だぁ」
こいつ、寝てまして。
「もう少ししたら戻るからー」
風呂のヘリで気持ちよく寝てまして。
仰向け、服従する犬のポーズ、全裸で寝てまして。
なんとも気持ち良さそうなので、放って部屋に戻りまして。

それから30分。
それでも親父は戻ってきませんでして。
「酔っ払ってんだよな・・・」
また心配になってきまして。
たまらず大浴場へ向かいまして。
「・・・あれ」
さっき寝ていたとこにいませんで。
慌てまして。
探しまして。
倒れてまして。
寝てまして。
今度はサウナで寝てまして。
サウナで全裸で寝てまして。
また服従してまして。
「親父ほら、干上がっちまうぞ!」
あまりに気持ち良さそうなので、放って部屋に戻りまして。

で、こんなことが5回ありまして。
やがて親父が部屋に戻ってきまして。
満足そうに入ってきまして。
風呂、都合2時間入ってまして。

中村良三、
これからの彼、目が離せません。
還暦を迎え、赤ちゃんの前にまずはお風呂大好き女子高生に戻っていくようです。

性別変わっちゃったよ。


「↓60と0、祝い」

2008/05/14(水) 『プロフェッショナル』
世の中にはいろんなプロフェッショナルがいる。
例えば今目の前にあるパソコンや携帯電話。
それ一つとってみても百のプロフェッショナルがいる。

じゃあ、君は何のプロフェッショナル?
君は何のプロフェッショナルになりたい?


仕事が楽しみならば人生は楽園だ
仕事が義務ならば人生は地獄だ
(ゴーリキー)










ぼくは自分の仕事というか職業を狭く決めてしまうのは、どうも面白くなかったんだ。
絵にしろ、彫刻にしろ、文章でもテレビでも、それを売って食うためにやるなんてことは空しいと思うんだ。
だからぼくはあらゆることをやるけれど、職業じゃない
(岡本太郎)











私は、事業のために映画を作っているのではなく、映画を作るために事業をしている
(ウォルト・ディズニー)









なにがきみのしあわせ 
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる 
そんなのはいやだ!
(アンパンマンのマーチ)











自分の仕事を嫌ってるようなクソッタレだけにはなりたくない
(高橋歩)









じゃあ君は。





80、
そっちはどうよ。
20代は色々あって楽しいぜ。
悩みが楽しめるうちはケツの青さはまだまだ持続中。
ぼくはすぐ死ぬ時のことを考える。
80歳のときの自分。
そうするとまだまだ先がある安心感に包まれる。
なんにせよ一旦ゼロにするのは怖い。
どにも自信がない。
ションベンちびりそうだ。
でも、今はまだそれでいい。
そんな気もする。

さて、面白い時期がきた。


80よ、
余裕があったら今を振り返ってみておくれ。

2008/05/13(火) 『隠れた名所、ウズベキスタン』
「ウズベキスタン」。
ってどこ?
ってどういうとこ?
って知らない。
って知ってることは何もない。
って強いて言えば危ないところなのかなあくらい。
じゃあ何を楽しみにこの国に行くの。
分からない。
けど、例えば今日、そのとっかかりを見つけた気がする。

とかなんとか。
ちょっとした出来事だけで、知らなかった国を知らないままに好きになったりするもんで。
今日はそんなお話。

***********

今日、VISAを発給してもらいにウズベキスタン大使館にいってきた。
目黒区下目黒。
「・・・たぶんここいらのはずなんだけど」
行きつ戻りつを何度も繰り返しやっと見つけた大使館は予想に反し、
普通の建物だった。
建物というかちょっと高級な家、といった感じ。
目印として掲げられているウズベク国旗も今日は小雨に濡れポールにくっついている。
閑静な住宅街に隠れるように建っていた大使館はすっかり目黒に馴染んでいた。

門が閉まっている。
「休みか?」
そう思って入り口に近づくと「領事館に御用の方は裏口にお回り下さい」と書かれていた。
案内にしたがって裏口に回ると、そこに入り口があった。
普通の門と普通の扉。
普通の家だ。
「大使館」とか「領事館」とかってもっと立派じゃなくていいの。
心配になってくる。
ウズベキスタンはまだいい。
まだいくらか知名度がある。
もしかしたらまったく無名な国の大使館はボロアパートの一室かもしれない。

扉を開けると、他に申請者の姿は見えなかった。
日本人女性の案内に従って、僕はぽつんと一人大広間に通された。
やがてそこにきちっと背広を着込んだウズベク領事官が入ってきた。
縁なし眼鏡をかけたすらっとした男。
「コンニチハ」
「こんにちは!」
そうそう。
あなたみたいなきちっとした人が大使館には必要だ。
その国の威厳を見せ付ける様な人間が。
それにしてもこういう時、何もしてないのにやましい気持ちになるのは何故だろう。
途端、僕は緊張してくる。
しっかりと受け答えをしなければ落とされる、そんな気がしてくる。
僕の気持ちを知ってか知らずか、男は黙って僕の申請書類を確認していた。
それから質問を投げかけてきた。
少し甲高い日本語で。
「アナタハドレクライタビスル、ヨテーデスカ?」
「ウズベキスタンをですか?」
「ゼンブデ」
「今のところ半年くらいです」
「ワア!イイネイイネエ!」
「あ、はい」
「アナタハナニシテルヒトデスカ?」
「え?」
「シゴトシゴト」
「あ、はい!舞台なんかをちょろっと」
「ブタイ!ッテ、シバイ?」
「あ、はい」
「ワア!イイネー!コンドサソッテヨー」
「・・・え、あはい、是非観に来てください」
馴れ馴れしい。
あんた、そんな人だったんだ。
見た目からは想像つかない。

でも。
ウズベキスタン。
知らない国もこんなことだけで少し好意を持ってしまう。

5月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.