|
2008/04/16(水)
『馬鹿の線〜人間のエゴについてのノート』
|
|
|
異国の地を歩き、眉間に皺寄せ、我思う。 異国の風に吹かれ、乾いた頬撫ぜ、我思う。 異国の人と触れ合い、頭かきむしり、我思う。 「国境」ってなんだ。 「国境」ってなんなんだ。 異国の隅で叫びたい。 中心でなんて贅沢は言わない。 異国の隅でいいから叫びたい。
「大地に線引いた馬鹿は誰だ!」
もはやIT媒体を使って、俺のミジンコ話なんて書いてる場合じゃなかった。 これを書かなければ。 「人間のエゴについて」 今日はそんなお話。 本日の中村崇は一味違う。 世界、斬らせていただきます。
***********
何にでもいい。 何かに何の変哲もない一本の線を引く。 するとそこには様々な意味が生まれてくる。 画用紙に一本の線を引けば水平線が生まれ、 アスファルトに引けば車線が生まれるように、 大地の上に一本の線を引けば、生まれてくるのは国境だコノヤロウ。 するとこの一本をずらそうと何億人単位の争いが始まるバカヤロウ。 それっておかしくないか。
ごらん。 本日、世界斬ってます。
***********
それでもなんとか俺が胸を撫で下ろせるのは、しょせん人間なんかにゃ空と海には線を引けないから。 そう考えるといや待て。 声が聞こえてくる。 「ここは日本国の海域である!直ちにその線から離れたし!もちっとそっちに行ってみたし!繰り返すここは」 もう引かれてた。 大地に引かれた馬鹿の線を伸ばしていくとやがて辿り着くのが海域、そして空域だ。 白、黒、赤、黄、色んな色で引かれてた。 じゃあ黄色い国の海域に入り込んだ魚ってのは一気に色が変わるのか。 尊ばれてる生命も馬鹿の線の前では物に変わるってか。 それっておかしくないか。 じゃあ全ての魚は海域線上に誘導しよう。 そうすれば誰も手を出せない。 ただ変わりにその針と網は隣国に向けられる。 いや、君の反論は聞かない。 俺は魚を線上に誘導する。 市民プールに通うことにする。
本日、中村崇が線を切る。
***********
世界は線がなくなったらどうなるだろうか。 あ?自国の伝統?アイデンティティ?なくなる? なくならねーよ。 どこの先住民も自分の伝統は守り通してたよ。 あんたらのアイデンティティなんてただのブランドじゃねーか。 伝統は「国名」と関係のないところで守られてるよ。 「国境」なんてあっからいがみ合うんじゃねーか。 「国境」なんてあっから戦争が起こんじゃねーか。 あんたの目にオリンピックは平和に見えるか。 俺にゃ冷戦にしか見えないね。 個人で争うのはいい。 世界一を決めるのは良い。 でも国で争うことはない。 いや、そもそも国なんていらない。 国境なんていらない。 キリギス、 ウズベキスタン、 タジキスタン、 カザフスタン、 トルクメニスタン。 スタン系といわれる中央アジアの国々よ。 特に今、あんたらがよく聞いてくれ。 国渡んのにいちいちパスポートとかビザとかインビテーションとかオビールとかさあ。 ・・・あのさあ、そういうことじゃないでしょ。 もう、分からないよ。 オビールの意味とかビザ取得の仕方とか俺の頭じゃ分かんないよ。 どうすればいいの。 どこの大使館行ってどの書類持ってけばいいの。 本当、分からないよ。 つまりさ、「人間のエゴ」が戦争の始まりってことが分かってもらえた? そしたらさ、そのエゴを反省する意味で一つ、 半年だけでも俺のために国境なくしてくれない?
頼むよー。
|
|
|
|