マガッタ玉日記
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2008/12/31(水) 『2008』

今年も色々お世話になりました。

おかげさまで2008年もまた思い出深い一年を送ることが出来ました。
リセット。
来年はどうなるか、どうしようかはまだ未定ですが、隙あらばまた色々な所に遊びに行き、また舞台等に動き出したいと思います。
で。
皆々様、来年も何卒お付き合いよろしくお願いいたします。
それでは来年も良い年であることを願いつつ...

2008年12月31日
中村崇
雪降り積もる宮城県仙台市より

2008/12/29(月) 『鍋を囲んで』
東京に帰ると僕は長期間放っとかれた部屋の窓を全部開け放った。
ここはばあちゃん家の布団の匂いがする。
そうか。
ばあちゃん家の布団の匂いってのはカビの匂いだったんだ。
久しぶりに使われる布団は少なからずカビの匂いがする。
で、僕はしばらく窓の先を眺めた。
こんなに分かりやすい変化があるだろうか。
僕の大好きだった向かいの空き地にはこの半年でマンションが建っていた。
雑草が生い茂っていたはずの場所にはコンクリートの建物が建っている。
これでもう6月が来てもヤモリもカマキリも現れない。
カビ臭い枕と旅用下着を洗濯機に突っ込むと、缶コーヒーを買いに出た。
思ったよりも東京は寒くなかった。
上海の寒さに比べればなんてことはない。
100円で買える自販機まで歩き、飲み慣れたアサヒのホット缶コーヒーを一本買う。
もともと錆びれた雰囲気のある町並みにはこれといって変化がなかった。
プルタブを開け、テレビをつけ、煙草に火をつける。
とくに何を考えるでもなく、年末特番を何時間も眺めているといつの間にか僕は眠っていた。
起きると辺りはすっかり暗くなっていた。
埃のこびりついた自転車の鍵は錆びている。
うつろ覚えだった番号に合わせ、錆をはがすように引っこ抜くと駅に向かった。
それから電車に乗り、伊藤家に向かう。
僕はこの半年で何があったか、どんな面白い経験をしてきたかを思い出しながら伊藤家を目指す。
ああ、こんなことがあった。
ああ、そんなことがあった。
扉を開けると、湯気が立っていた。
久しぶりの鍋料理。
そこにグラスが5つ並んでいる。
伊藤摩美、ヘロヘロQカムパニーの那珂村タカコ、劇団S.A.Rの山主晃一、劇団Co:Co:aの森山光治良、
久しぶりにあったタカちゃんや山主君や森山が帰国を祝ってくれた。
嬉しい、というよりも照れ臭い。
みんなに久しぶりに会うのはどこか照れ臭かった。
さて、どの話をしよう。
でも別にみんな、僕の話をよく聞くわけではなかった。
海外話よりも最近山主君がハマっているという「仏像」についての話がメインだった。
わざわざ教則本を持ち出してまで仏像講座は開かれた。

今日ぼくは、東京に帰ってきた。

2008/12/28(日) 『#LAST ASIA 〜 日本』
「○○は家に帰るまでが○○だからね」なんて話をよく聞くけれど、どうやら「旅の終わり」ってのはそういうもんじゃないらしい。
どうやら帰国や帰宅のときだけじゃないようで。
例えば僕なんかは帰国に実感がなかった分、それはあまりに突然のことのように感じた。
全身の力が抜け、直後全身に力を入れていた。
とかなんとか。
今日は、まあそういう最終回で。

***********

大坂梅田駅の人だかりを大きなバックと小さなバックのサンドイッチでとぼとぼ歩いてると、ああ本当に東京に帰るんだなあと僕は少し感傷的になっていた。
実感がなかった。
ここ半年色んな人、事、物と遊んで色んな常識が移り変わっていたからきっとそれはしょうがない。
本当に帰るんだよな、だから半信半疑はなくならない。
でも買い溜めしていた中国産のタバコももう切れた。
僕は安い包装紙の中国タバコをくしゃくしゃに握り潰すと梅田駅内の自動販売機に千円札を飲み込ませた。
懐かしのマイセンスーパーライトのボタンを押す。
でも販売機は反応しなかった。
僕は数秒困惑する。
やがて自動販売機は丁寧な機械音で言った。
「タスポヲイレテクダサイ」
そこで僕は思う。
「…ああ、終わった」
なんとなくその場に立ち尽くしていると、飲み込んだ千円札が再び戻ってきた。
僕は全身の力が抜ける。
直後奮起しようと全身に力を入れた。
なんだかよく分からないけど、これが今回の僕の旅の終わりだった。
タスポのせいで僕はもう顔をぐしゃぐしゃにして泣きたい気分だった。
「タスポ、タスポって、…そんなんあったなあ!」
僕は千円札を財布に戻し、東京行きバス乗り場に向かった。
「…よし」
東京に帰ってまずすることはタスポ申請か。

とかなんとか。
僕は今日で28歳になった。
やっぱり28の僕もどこかに行っているんだろう。
最後の一夜。
デコボコの少ない高速バスで眼を覚ませば僕は「東京」に帰っている。



『ASIA』
2008.6.6〜12.28
Nakamura Takashi
end

2008/12/27(土) 『# ASIA 〜 日本』
『ウラシマ』


帰国して3日目。
僕は大阪を観光するわけでもなく、毎日だらだらテレビを見て半年分の日本事情を眺めている。
「…この曲だれ?」
「…まだこの芸人さんいたんだ」
「…なにその事件?」
「くいだおれ太郎がタレントに?」
知らないことだらけで。
周りに連絡をとればスピード婚をしていたり舞台に励んでいたりバンドを解散していたり、とすっかりおいていかれている感がある。
「……ありゃあ」
こういう時、自分がどれだけゆっくりしてきたか肌で感じる。
多少の焦りと不安。
そう立ち止まってる暇はない。
「…ありゃあ俺も早く動かなきゃあね」
休んだものに与える休息などもうない。

でもね。

28日、東京行きの深夜バスチケット、
30日の宮城行き深夜バスチケットはもう手にある。
うん。
いいじゃない。
やっぱ僕はもう少しゆっくりします。



とりあえず30までは好きなように。
もう2年ほど時間を下さい。
で今日27が終わります。

2008/12/25(木) 『帰国』
本日大阪は小雨なり。
本日大阪は小雨なり


上海発の蘇州号は本日昼、大阪南港についた。
船を降りると、僕は26キロに膨れ上がったくたびれバックパックを背負ったまま、最後のスタンプを押してもらう。
最後のスタンプ、「日本帰国」。
とかいうことで。
本日僕は帰国したんで。

************

「じゃあまたどっかで!」
50時間弱の船移動ですっかり意気投合したダイスケさんやマリさん、メグさんに別れを告げると、僕は出国前にもお世話になった大阪の知り合いの家に向かった。
「またお邪魔しまーす!」
小雨で濡れたバックパックを放り投げ、まずはソファーに寝転がって物思いに更ける。
「ああこんなことがあったなあ」
パスポートをめくりながら今回行った国々を思い出してみる。
「ああそんなこんなこともあったなあ」
それから2、3日中に帰るだろう東京の生活を考えてみる。
「…色々あったなあ」
色々思い出して、そして今いる国、「日本」を考えてみる。
けれどもどうもしっくりこなかった。
意外と「帰国」という実感が湧いてこない。
なんだか旅はここで終わりですよ、という実感がまるでない。
半年も離れればもっと劇的にこう「…日本帰国!」と感動的になるものかと思っていたのに、感動どころか実感さえ湧いてこない。
明日にはまたどっかの国に行ってんだろうなあ。
そんな感じで。
なんだかそれじゃあ勿体無い。
せっかく半年も色んなことから離れたんだから、最大限活用しなければ。

繋ぎたての携帯電話で友達に電話を掛ける。
「おお崇帰ってきたかあ!」
友達がテンション高く迎えてくれる。
「おお帰ってきたぞー!」
僕もテンション高くそれに応じる。
「どうだったー!」
「楽しかったー!」
帰国報告をしているうちに僕のテンションは上がって行く。
そして言う。
「大変長らくお待たせいたしました!来年マガッタやりまっせ!」
僕のテンションも友達のテンションもまた上がる。
やりたいことをやりたい時にやれるこの環境に感謝。
「おお!いつやるよ?」
そして僕は浅い年間計画をざっと頭に浮かべる。
「…ん、ん…」
色んな現実が頭に浮かぶ。
やりたいときにやるったって先立つものが必要で。
「ん…ん…ん…ら、来年中!」
一年は長い。

ひとまず東京に帰ったら、来年の計画を少し立てよう。

とかなんとか。
本日帰国したんで。

2008/12/01(月) 『帰国報告 DEC』
20081221

[中央アジア]
中国西部、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン

[南アジア]
パキスタン、インド、バングラディシュ

[東南アジア]
タイランド、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、ラオス

そして今さっきラオスから都合80時間ほどを乗り継いで[上海]に帰ってきたんで。

都合13か国。
期間6ヶ月と20日。

明後日には上海から船に乗り、大阪に帰る。
感慨一塩。
思いは募り。
とかなんとか。
ブログ上じゃ僕の旅行はまだ[パキスタン]で止まっている。。。
さて、帰ったら溜まったものを吐き出すように色々書こうと思う。
そう思うよ。



20081217

とかなんとか。
日本では伊藤があることないこと書いてる今、中村はラオス北部の「ルアンナムター」で
伊藤の初海外模様はいずれ詳しく書くとして、こちらは明日、少数民族の宝庫と言われている「ムアンシン」という村を訪れたら、一路上海を目指すことにしたんで。
ここ最近は
「半年の旅行って言ってたけど、もう少しせっかくだから来年中旬くらいまで中国にでもいようかなー」
なんて考えてましたが、そうは問屋が卸さない。
心が頷いても、財布は頷かない。
ってことで慌てて上海を目指すことにします。
最短で、帰国はクリスマスの12月25日。
クリスマスに浮かれている日本に汚いバック担いで真っ黒い顔で帰りたいとおもいます。
また2泊3日かけて上海〜大阪をゆったりと帰りましょう。

とかなんとか。

帰国か。
ああ、居酒屋にゆこう。


2008/12/12

ラオスの首都「ビエンチャン」に入る。
意外と物価が高い。
ラオスってのはどこまでもゆっくりした国じゃなかったのかい。
まあどこだって首都ってのはしょうがない。
そう思いつつも意気消沈してビエンチャンの北「バンビエン」に入る。
ますます物価があがってる。
なんじゃこりゃ。
もうどこにも行けないじゃないか。
近くの川でタイヤのチューブにすっぽりはまって川下りながら考えるのは、もっと静かなところへ、静かなところへ。
と求めてあくる日、北東「ポーンサワン」へ。
まるで昔話のような景色、風景、情景。
そう、ここ!
そう!静かなとこってここ!
雲がナルト巻いてそうなとこ!
ってことで今日更に移動してきて町自体が世界遺産になってる「ルアンパパバーン」へ。
とかなんとか。
北へ北へと向かうほど寒い。
寝袋に包まりながら、あったかいコーヒーを飲んで最近は東京での生活なんかを考えている。
果たして帰京は今年中に間に合うことやら。
とかなんとかこの前、ふと気付いた。
「あ、日本出てから6ヶ月越えちゃってるじゃん...」

2008/12/5

とかなんとか。
伊藤は昨日の便で無事ベトナムから日本に帰っていった。
ギャーギャーやってきてギャーギャー帰っていった。
すべてに対する新鮮な反応が面白かった。
で、すれて旅行しちゃってるのかもなぁ、と自分を思う。
まあ無事送り迎えできてなによりだ。
で、これでまたしばらくビールは一人で飲むことになる。
いつものことだが、残される側ってのはいつもどこか寂しい。
とかなんとか話は変わって。
今朝、4ヶ月前カザフスタンで失くしたはずのノートが見つかった。
パスポーgのコピー、金の計算、ちょっとした日記、友達の住所、適当なデッサン、そんなものが書かれた黒いノートはたぶんカザフスタンとウズベキスタンの国境付近で失くしていた。
そして今朝見つかった。
正確にはとある旅行者さんの手にあるよ、という情報が旅中に出会った友達からやってきた。
さっそくその方にお礼のメールと日本に帰ったら自宅に送ってもらえるよう連絡を。
いやはや不思議なものだ。
回り回って巡り巡るよ。
ってんで友達よ、今まで手紙書けなくてすまなんで。
日本に帰ったらやっとあなたの住所がわかります。
そしたら書く、のはやっぱいいや、会いに行きます。
ってんで今から最後の国、「ラオス」へ。
あとは中国、上海を経由して船で日本に帰る。

2008/12/2

とかなんとか。
12月になってしまった。
出発した6月に12月は半年後に来るんだろうなーと呑気に構えていたが、
どうやら本当に12月がきてしまった。
本当にくるもんなんだ。
なんだかクリスマスやら年末やら師走やら、どこか遠くの声に聞こえるもんで。
去年の今頃はクリスマスライブでてんやわんやだった。
で、今年は。
とりあえずベトナムを縦断しながら毎日伊藤摩美とビールを飲み交わしている。
ってことでスペシャルゲスト的に遊びに来た伊藤もあさって日本に帰る。
せっかくだからこの10日間は伊藤に書いてもらおう。
で、「崇君はいつ帰ってくんの?」
さていつにしよう。
帰ってもすぐに今年は終わる。

とかなんとか。
今夜はリッチに「宮廷料理」のフルコースなんぞを食って、そのあとはやっぱり屋台でビールを飲もう。
そろそろラオスとか言う国に入る準備をしよう。

追伸.伊藤摩美、意外とベトナム衣装「アオザイ」が似合ってびっくり。


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