|
2008/01/13(日)
『27CHINA #2』
|
|
|
『#2 旅の感覚』 (上海フェリーターミナル−上海南駅)
「中国に着いたら年末かあ、どこで過ごそうかなあ」
まだ足元がゆらゆらと揺れている。 いや揺れているのは頭の方か。 頭の中が波打っている。 フェリーを降り入国手続きが済むと、 僕は時計の針を一時間戻し、中国時間にした。 これで揺られていたのは49時間ということになる。 だからといって何が変わるわけでもないが。 それから方位磁針を取り出し、僕は東西南北を確認した。 見知らぬ土地に着くと僕はまず方角を覚えるようにしている。 それは現在位置を確認するというよりは、 一種のまじないみたなもので、浮き足立った感覚が少し地べたに近づく気になれるのだ。 旅中の僕はいつもより感性が研ぎ澄まされ、いつもより感覚が鈍っている。 いつもより意識が鋭く、いつもより意図が薄い。 感覚のお話。
僕はバスに揺られ「上海南駅」へと向かうことにした。 まずは人の良さそうな人を探そう。 スケッチブックを取り出し、 「汽車→上海南火車」 と出来るだけ丁寧に書き、僕は道行く人に「すいません」と話しかける。 もちろん中国人に日本語のすいませんが通じるはずもないが、中国語での「すいません」を僕は知らないんだからしょうがない。
話には聞いていたが、中国は英語が一切通用しない国だった。 もちろん日本語も通用しない。 ワン、ツー、スリー、いち、に、さんが通用しない国、中国。 しかし僕が知っている言葉は「ニイハオ」と「シェイシェ」、あとは「ウォアイニィ」くらいしかない。
「こんちは!本当ありがとねー、愛してるってばー」
それじゃ旅は進まない。 じゃあどうすればいいか。 ラッキーなことに僕は日本人だった。 ということは「漢字」で会話が出来るのだ! とか思っていたら、残念。 着いてみたらそう簡単な話じゃなかった。 中国漢字は日本のそれとは違って、略字で表記されている。 だから同じ漢字のはずなのに、中国漢字の6割以上は何がなんだか分からない。 それに同じ漢字でも意味が違ってきてしまう。
例えば「汽車」(これも中国式の略字で書かなければ伝わらないが)、 これを僕は電車の意味だと思っていたが、中国では「バス」の意味になるそうだ。 ちなみに電車は「火車」と書く。 だから 「ここフェリーターミナルからバスで上海南駅まで行きたいんだけど、どうすればいいの!?」 と聞きたい僕は 「汽車→上海南火車」 と書き、泣きそうな顔で相手を見つめればいい。 そこに「?元」と足せば、「じゃあそれはいくらで行けるのさ!?」と値段も調べられたりする。 これで3,4割は伝わっている、と思う。 にしたって終始これじゃ疲れちまう。
それでも2,3の中国漢字を覚えると、 なんとなく会話の全体像が見えてくるから不思議だ。 言葉を覚える、旅の快感の一つかもしれない。
バス停で上海南駅行きを待っていると、二人の若者が僕を挟み込んできた。
「あ、こいつらスリだ」
なんとなくそう思った。 挟み込み方や片方の意識の散らせ方、もう片方の死角への入り方、 そして二人の目線、その全ての空気が「僕たちスリですから」、そう言っていた。 つまりこいつらは下手くそだった。 僕は視線を他に移した振りをして、財布を抜かれないようさりげなくポケットに手を突っ込む。
やがて二人の若者は去っていった。
「気を引き締めなけりゃ」
僕はバスに乗り込む。
バスに揺られ、僕は早速上海をあとにした。
2007年の終わり、中国初めの行き先は、 「蘇州」。 そこで今年の年末は静かに過ごすことにしよう。
|
|
|
|