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2010/08/07(土)
赤いちゃんちゃんこの猫の話
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今では、ご長寿のお祝いに猫にも「赤いちゃんちゃんこ」を着せたりするようです。
それを目にして思い出してしまったちょっと昔の話です。 悲しい話しが苦手な人は、読まない方が良いかもしれません。
写真のサビ猫さんが、私の知っている「赤いちゃんちゃんこの猫・・・にゃむちゃん」です。
息子が大阪に居る頃だったので、もう9年前の話になります。
それは2001年11月の終わりに近いある朝、若い女の子が、山道で、赤いちゃんちゃんこを着た猫を見つけました。 もう朝方は冷え込む土地だったので、猫の頭にも、赤いちゃんちゃんこにも、白く霜が降りていて、凍りかけていたそうです。
それ以前に、良く似た猫を亡くしていたその人は、赤いちゃんちゃんこの猫を家に連れて帰りました。 家に帰って、赤いちゃんちゃんこを脱がせると、胸に大きな腫瘍があり、すでにはじけて肉が見えている状態だったそうです。 手作りの赤いちゃんちゃんこは、それを隠すためだったのでしょうか。
胸の腫瘍からは膿が流れ、腐った様な臭いも強く、連れていった獣医さんが言うのには、 「末期ガンで、余命は、せいぜい数日・・・」 ところが、家族が死にそうな猫を家に置く事に大反対。 保護したお嬢さんが仕事に行っている間に捨てられてしまうかもしれない・・・。
ある掲示板に、そんな風に書かれていたのを読んだように記憶しています。 それとも、どなたかの日記だったかもしれません。
「もう寿命が尽きかけて最後の時を迎えようとしている飼い猫を、人通りの少ない山道に捨てるなんて・・・ひどい飼い主だ」 非難と同情の声が掲示板にあふれました。
でも、一刻を争う様な状況なのに、にゃむちゃんの引き取り手はすぐには表れませんでした。
私も、ちょうどその時息子が大阪に居たので、 それほどに余命が無いなら、お世話するにしても短い間だろうし、元気なうちに引き取ってしまおうかと考えました。 でも、悪臭というほど臭い猫を、山梨の家まで電車やバスなどで運べそうにありませんでした。 せめて大阪まで、だれかその猫を運んでくれる人はいないだろうかと悩んだりもしました。
けっきょく、保護した人が頑張って家族を説得して、その家に置いてもらえる事になり、 一月ちょっとの間、にゃむちゃんは保護主さんとそのお友達に見守られて過ごしました。 最初は痛み止めなどの治療が良く効いて、たくさん食べて機嫌も良くて、保護主さんたちを喜ばせていたにゃむちゃんでしたが、やがて、食欲も落ちて症状も悪化して、クリスマスの頃に逝ってしまったように思います。
私は、保護主のお友達から写真をたくさんいただいて、今も手元にあります。 幸せそうに日向ぼっこする姿や、カメラを持つお友達に駆け寄る姿など、微笑ましい姿が写真に残っています。 久しぶりに、それをゆっくりみました。
あれから9年経って、にゃむちゃんを覚えてる人は少なくなっていると思います。 古い友人が愛猫の11歳の誕生日について書いた日記がきっかけで、猫にもご長寿のお祝いに赤いちゃんちゃんこを着せる人がいるのを知り、 あちこちのブログやサイトに、赤いちゃんちゃんこを着て、赤い帽子をかぶった猫の写真を見ながら、 私は、にゃむちゃんの事を考えました。 たぶんこの先もずっと、私にとっての「赤いちゃんちゃんこの猫=にゃむちゃん」なのだろうと思います。
そして、私の頭の中には、 息の白くなる様な寒い朝、山道の端っこに真っ白な霜をかぶって、うずくまっている赤いちゃんちゃんこの猫という図が、いつも浮かびます。 それは綺麗で残酷で、人の身勝手さを表わしている悲しい画のようで、何もしてあげられなかった私は、にゃむちゃんを思い出すと胸が痛くなります。
だけど記憶が薄れかけていたのに、きゅうに思いだしたのは、 もうすぐお盆だから、もしかして、にゃむちゃんが「忘れないでいてね」って思ったのかもしれません。 今年は亡くした猫たちの事を思いながら、迎え火を焚こうかなと思います。
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