小北ゆきひろの日記
その日の出来事や思った事を
好き放題書いちゃいマス!
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年11月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2010/09/01 ブログ変更!
2010/08/01 変更!
2010/07/01 変更!
2010/06/01 ブログの変更
2010/05/01 日記の変更

直接移動: 20109 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 月 

2006/11/06(月) 27頼風塚と女郎花塚
八幡市民図書館に近い和菓子店の裏にある小さな五輪石塔を「頼風塚」「男塚」という。この石塔に対して松花堂庭園の西隅にある小さな五輪石塔を「女郎花塚」「女塚」といい、平安初期の叶わぬ恋の物語を今に伝えている。男塚の主は、八幡に住まいしていた小野頼風という人で、806年から808年ごろ、京に深い契りを結んでいた女性がいたが、いつしか二人の間に秋風が吹いていた。京の女は思いあまって八幡へと男を訪ねてくると、男が他の女と暮らしていることを知り、悲嘆のあまり泪川に身を投げて死んでしまった。やがて、彼女が脱ぎ捨てた山吹重ねの衣が朽ちて、そこから女郎花が咲いた。頼風がこの花の元に寄ると、花は恨んだ風情をたたえながら頼風を嫌うようになびくので、頼風は「こんなにも私を恨んで死んだのか」と自責の念にかられ、放生川に身を投げた。人々はこれを哀れみ、二人の塚を築いたという。頼風塚の周りに生い茂っている葦は「片葉の葦」と呼ばれ、女郎花塚の方にしか葉がついておらず、その葉が女郎花塚に向かい今も「恋しい、恋しい」となびいているのだという。

(ぶらり八幡浪漫街道を行く より引用)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.