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2006/10/05(木)
26善法律寺と足利義満
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善法律寺は律宗の寺である。建物は本堂を中心に庫裡、阿弥陀堂、聖天童が配されている。その本堂は、弘安年間(12781288)に石清水八幡宮の社殿を移して建立したものという。寺は石清水八幡宮検校であった善法寺宮清が正嘉年間(12571258)に私邸を喜捨して創立し、奈良東大寺から実相上人を招いて開山したことに始まる。 室町時代には、善法寺通清の娘良子が将軍足利義詮に嫁ぎ、3代将軍義満の母となった。義満は神社信仰に篤く、特に八幡宮を崇敬したため、20数回も八幡を訪れている。以後の義教、義政も繁けく往来し、将軍家と善法寺家との密接な関係が続いた。従って律寺も足利家の庇護を得て隆盛を極めたのである。 良子は善法律寺へ自分の好きな紅葉の樹をたくさん寄進したという。別名「紅葉寺」と呼ばれている。本堂に安置されている八幡大菩薩(僧形八幡)は、明治元年(1868)に神仏分離が行われるまで石清水八幡宮の殿内に安置されていたという。等身彩色の座像は、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ鎌倉時代の作である。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆく より引用)
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