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2006/01/18(水)
19石清水八幡宮の勧請
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男山山頂にある石清水八幡宮は、応神天皇、比メ大神、神功皇后をまつる旧官幣大社である。八幡宮の遷座以前は、男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていた。 859年(貞観元年)、奈良大安寺の僧、行教が、九州・豊前国の宇佐八幡で「吾れ深く汝が修善に感応す。敢えて忍忘する可からず。須らく近都に移座し国家を鎮護せん」との八幡大菩薩の神託をうけた。その後、平安京に向かう行教が山崎離宮(大山崎町)で、再び「王城鎮護のため、男山に祀るように」との神託があった。行教はこのことを朝廷に報告。時の清和天皇の命を承け、木工寮権允橘良基が宇佐宮に准じて、正殿三宇、礼殿三宇からなる神殿六宇の造営に着手し、翌860年(貞観2年)4月3日に「石清水八幡宮」は鎮座した。 以来、朝廷の崇敬を得て、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟と崇められ、源氏もまた八幡神を氏神として仰いだため、八幡信仰は全国に流布した。なかでも、源義家は7歳にして石清水八幡宮において元服、「八幡太郎義家」と名乗り、源氏一門を隆昌に導いた。 (ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)
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