小北ゆきひろの日記
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2006/01/13(金) 18発明王エジソンと八幡竹
発明王トーマス・アルバ・エジソンは白熱電球の実用化にあたり、動物の爪や植物の繊維など、ありとあらゆる材料を使って実験を繰り返していた。その材料は6000種を数えたという。そんな折り、研究室にあった扇に使われていた竹を使って実験すると、思いのほか、良い結果を得る。そして世界各国に最良の竹を求めることになった。
明治13年(1880)夏、エジソンの特命を受け、日本にやって来た助手のウイリアム・H・ムーアーは、初代京都府知事の槙村正直から「竹なら八幡か嵯峨野がいい」と紹介される。そしてムーアによって男山付近で採取された真竹がエジソンの元へ送られた。結果は驚くべきものだった。約1000時間も明かりを灯し続けた。以来、男山の竹はセルロースのフィラメントにとってかわる1894年までの約10年間、「八幡竹(はちまんだけ)」の名で、エジソン電灯会社に輸出され、何百万個の馬蹄型フィラメントの白熱電球が作られ、全世界に明かりを灯し続けた。石清水八幡宮境内には、エジソンが男山の竹を使って白熱電球の実用化に成功したことを記念し、記念碑が建てられている。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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