小北ゆきひろの日記
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2005/09/30(金) 09飛行神社と二宮忠八
飛行神社は、大正4年(1915)、航空界のパイオニア、二宮忠八が八幡市八幡土井の自宅邸内に創建したのが起こりである。
忠八は、慶應2年(1866年)6月、愛媛県八幡浜に誕生。独学で作った凧は、独創的かつ奇抜で「忠八凧」と呼ばれた。
明治20年(1887)12月、丸亀歩兵連隊に入隊。四国山岳地帯で演習中、烏が残飯を求め滑空
する姿に興味を示し、空を飛ぶ機械の発明に大きなヒントとなった。
以後、研究を重ねて明治24年(1891)4月29日、日本人初のゴム動力による「カラス型飛行器」の飛行に成功。次に人の乗れる玉虫型飛行器を考案に着手。
明治26年(1893)に設計を完了し、軍で研究開発してもらおうと願い出たが却下され、独力完成を決意。資金を貯え、自力で飛行機開発の条件が整った明治33年(1900)、京都府八幡町に土地を求め、開発に努力していたところ、明治36年(1903年)12月17日、ライト兄弟が飛行機を完成させ、飛行に成功したとの報を聞くことになった。
忠八は無念の涙を流し、「飛行機を作ったとしても真似という評価しか受けない」と
製作を断念したという。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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