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2005/08/20(土)
07安居橋と高橋
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安居橋は、大谷川が放生川と名を変える八幡平谷の買屋橋から京阪電車踏切手前の全昌寺橋までの約200メートルの間の中ほどに架かる反り橋をいう。 江戸時代の放生川には、今よりも多くの橋が架けられており、川上から「五位橋」「安居橋」「六位橋」「高橋」という順番に架かっていた。安居橋の名の由来は、康正3年(1457)の後に架けられたため、「相五位橋」と呼ばれ、後に変化して「安居橋」になったのではないかと「男山考古録」は記している。また、その当時の安居橋は平坦な橋で、反り橋は約50メートルほど川下にあった高橋であった。 近くには男山四十八坊のひとつ、高坊があり、同坊の板敷と高橋の高さが同じだった。高坊は行幸御幸の際の宿坊であったため、天喜2年(1054)、「橋が高いのは恐れ多いことだ」として、高橋の橋脚が3尺切り下げられたという。 (ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)
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