小北ゆきひろの日記
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2005/08/18(木) 05高良神社と徒然草
石清水八幡宮の麓の頓宮横にあり、貞観2年(860)行教律師が建立した神殿の跡に鎮座している。もとは、河原社と称し、馬場先本道を挟んでその前方を流れる放生川の側にあった。貞観3年(861)に行教によって建立された古い神社である。同社は慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いによって消失してしまったが、明治15年(1882)に再建された。
高良神社の有名な逸話として、元徳3年(1331)、兼好法師が著した徒然草に見ることができる。「ある日、仁和寺の和尚が石清水八幡宮を詣でようと訪れ、極楽寺、高良神社を詣でた。参詣を済ませ、さて帰ろうとしたとき、人々は山頂をめざして階段を登っていく。何だろうと思ったが、私は今回の旅の目的である石清水八幡宮に参詣を済ませたのだからと帰ってしまった。後で石清水八幡宮が山頂にあることを知って、どんな小さなことでも、案内人は必要だと痛感した」というものだ。石清水八幡宮は遷座当初から国家、皇室、さらに武家の守護神として尊崇されてきたためか、もっぱら地域の人々が心のよりどころにした氏神は「高良神社」であった。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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