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2005/08/14(日)
01 大石塔、航海記念塔の謎
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神応寺総門の左に大きな五輪石塔が「航海記念塔(重要文化財)」である。高さ6.08m、幅2.44mに及ぶ日本最大規模のもので、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪という。石塔は、旧極楽寺の境内に建立されたが、寺は廃寺となり、石塔だけが残った。起源や作者は明らかではなく、石塔にまつわる多くの言い伝えが残されている。 八幡神を宇佐八幡から勧請した大安寺の僧、行教の墓だともいうもの、また、口碑によれば平安時代の末期に摂津国、尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で大シケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国できた。これを感謝し、承安年間に建立したという。以後、船乗りたちが航海の無事を祈願したことから「航海記念塔」と呼ばれた。 また、鎌倉時代末期、文永の役と弘安の役の蒙古襲来に際して西大寺の僧、叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、神風が吹いて元軍が敗れ去り、叡尊は彼等の供養をするため建立したともいう。五輪石塔の巨石を積み上げる際、金テコを使ったところ、石の間から火が噴き出し、男山の竹を使って無事完成したという伝説が残っている。 (ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)
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