小北ゆきひろの日記
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2005/11/07(月) 15三の鳥居と一つ石
男山山頂にある神馬舎前の三の鳥居は、南北朝が統一まもない応永7年(1400)7月16日に
建てられた。
それから約200年間、鳥居は大木を用い、朱塗りにし、金で飾られ、非常に美しかったようだ。
正保2年(1645)正月に石造りに改められ、松花堂昭乗の門人、法童坊孝以の筆によって、
源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文が記されたが、鳥居は安永3年(1774)の台風で倒れ、
その後、安永7年(1778)5月に修復された。現在の鳥居は、昭和36年(1961)の第二室戸台風で
再び倒壊し、翌年12月に再建されたものである。
この三の鳥居がまたぐ参道敷石のほぼ中央(やや東寄り)に自然石がはめ込まれている。
大きさは90センチ×約60センチで、周りの敷石から少し盛り上がっている。「一つ石」といい、
お百度参りの起点になっていたという。蒙古襲来の時には人々がこの石と本殿前を往復し、
「道俗千度参」を奉修したという。また、江戸時代に本殿参拝を終えた参詣人が、この「一つ石」
の前で再び本殿に向き直って拝礼するという習わしに目をつけ、石の上に大きな賽銭箱が
菊坊によって置かれた。賽銭の収納に関わって争論となり、神社上層部が中に入って賽銭箱
の撤去をしたという。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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