小北ゆきひろの日記
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2005/11/21(月) 16男山四十八坊の石灯籠
明治元年(1868)の廃仏毀釈前までは、石清水八幡宮は神仏混淆の神社であった。本殿では毎日読経が流れ、社僧という僧侶が社務を取り仕切ったという。
かつて男山には48もの坊があった。「坊」とはお寺のことで、今では石清水八幡宮参道の石垣と八幡宮本殿前の参道に並ぶ石燈籠に往時を偲ぶしかない。この48坊、ある時代に、すべて存在したということではなく、全盛期で50近く、これが火災や廃絶などによって減ったり増えたりしていた。江戸時代中期の古図「八幡山上山下惣絵図」には43の坊を見ることができるように、だいたい40前後が常に男山にあったようだ。その坊も明治の廃仏毀釈直前には23の坊になっていたという。
石燈籠の竿の部分には「宿坊 ○○坊」と刻まれたのを見かける。この「宿坊」というのは、遠くから石清水八幡宮を参拝された旅人を泊める宿泊施設をもった坊であった。この宿泊費を坊の維持費に充てていたようだ。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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