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2005/10/04(火)
10淀屋辰五郎邸跡と砧の手水鉢
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天下の豪商、淀屋の5代目辰五郎は、宝永2年(1705)5月16日に闕所(けっしょ=江戸時代の刑罰のひとつ。家財の没収)となり、辰五郎は宝永6年(1709)に江戸に潜行。 そして6年後の正徳5年(1715)、日光東照宮100年祭の恩赦によって八幡に持っていた山林300石が淀屋に返還され、翌年に辰五郎は八幡に帰ってきた。 そして八幡柴座の地に居を構えた。その屋敷には、男山中腹の杉山谷不動の"ひきめの滝"から 竹の樋を使って邸の手水鉢に水を引き、その落差を利用して、手水鉢の中で踊るコブシ大の石の 音を楽しんだ。 この音が洗濯に使う砧(きぬた)を打つのによく似ていたことから「砧の手水鉢」と呼ばれた。 また、筧中を流れる水の音が「ドンド、ドンド」と聞こえたらしく、筧が敷設された小径を「ドンドの辻子」、その辻に面して建つ住居を指して「ドンド横丁」と呼ばれた。 翌、享保2年(1717)12月21日、辰五郎は33歳の若さでこの世を去り、手水鉢は主を失う。 そして今、この手水鉢は、松花堂庭園の書院裏庭に残っている。苔生した手水鉢を眺めていると、淀屋が見た夢が広がってくるようだ。 (ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)
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