小北ゆきひろの日記
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2005/10/24(月) 13大扉稲荷社の祭神
石清水八幡宮二の鳥居をくぐり、通称「七曲がり」と呼ばれるジグザクの石段を過ぎると分岐点に
さしかかる。ここに建つ朱塗りの鳥居の社が「大扉稲荷社」である。
 その昔、このあたりには狐の住む穴があって、柴草を刈りに来る人々にいたずらをするので、
小祠を建てて崇めたという伝説が残っている。文政12年(1829)に至って、杉本坊親杲らが泉坊と
相談、八幡宮に願い出、鳥居、玉垣を新たに作り、現在の場所に社を移して改築した。
社の祭神について次のような話が伝えられている。
当時、富くじが流行していた。この稲荷社に祈った人が、その霊験によって富を得たことが
伝わると信者を増やし、その信者の寄進で建立になった。しかし、その祭神の名を知る人がなく、
古記にも伝えられていなかったので、京都七条の高瀬川傍で稲荷を信仰し、占いなど神告を業と
していた人によって、「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げを受け、
その神の名を知ることになった。 こうして大扉稲荷社を信仰する人が多く、ここへ詣る人が
多かったという。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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