小北ゆきひろの日記
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2005/10/12(水) 12放生会に架けられた神幸橋
男山山麓のニの鳥居をくぐり、約100メートルほど行くと、山側の岩壁が深く削れて細い谷となり、
谷水が流れているところに出る。この谷筋を「祓谷(はらいだに)」といい、ここに架かる石橋が「神幸橋(しんこうばし)」だ。
長さは約2.8メートル、幅は約3メートル。江戸時代、石清水放生会が催される前後の数日間
のみ、木橋を架けて神が渡られるようにした橋で、当時、参詣者はニの鳥居をくぐらずに、
山裾にあった長福寺の門前を通り、「相槌稲荷社」横にある登り口から上っていた。
『男山考古録』によると、「普段は神幸橋が架かっていないのに、参詣者が二の鳥居をくぐって
山上に参ろうとして祓谷に落ち、怪我をする人が時々あったので、明和年間(17641772)に
紺座町に住む石清水社士、小寺壽庵らが相談して石橋を架けようと申し出た。しかし、
平谷町の旅籠や茶店を構えていた商人たちから、橋ができると二の鳥居をくぐって参詣する
から商売に難渋すると反対があった」という。
(ぶらり八幡浪漫街道をゆくより引用)


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