家主ケロケロぴーのあとから思い出し思い出しながらの日記です。
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2005/12/30(金) 年越しの行事
 年末の大掃除はあんまりできませんでしたが、年越しのお仕事はがんばりました。
 今年は、しめ縄を自分で作りました。よりながらねじる動作がなかなかできなくて、うまく作れませんでした。これだけで、半日かかりました。左足のかかとで押さえながらの作業だったので、普段使わない筋肉を結構使いました。
 一夜飾りにしないため、30日に餅つき機でもちをついたものの、のんびりしすぎて、2個ほど飾ることができず、一夜かざりになってしまいました。

2005/12/22(木) ゆずの大群
 めずらしく雪が積もり、交通渋滞がおきています。今年は、車も新しいし、一応SUVっていう部類のおかげか、ブレーキをかけたときの不安とか、走行の不安がないです。
 前日には、警報が出たら、学校の終業式もなくなるとの手紙もありました(台風ではなく、雪でも学校は休みになるのだと知りました)。
 今年の冬至のために、ゆずをたくさんいただきました。三箇所から8個。雪が降ってなかったら、いろいろな方に配りに行こうとも思いましたが、国道も雪で大渋滞ですので、家でおとなしくしていました。今夜のお風呂は、ゆずがごろごろ。子どもたちには強すぎて、体がかゆかったそうですが、とてもいい香りのお風呂が楽しめました。(写真を撮らず。残念)

2005/12/17(土) 質問
 昨日、不就学のことを書いたが、この日は、T小学校での学習支援のボランティアと児童とその家族のクリスマス会があった。ここで、本当に偶然に、参加していた市の職員の方から昨日書いたことを聞かれた。
 「ケロさんが関わってきた間に少しは改善されてきた?」
 イエスともノーとも言える質問。
 ただ、短い期間でも学習支援でボランティアが補助に入いり、少しでも個別に対応できたことは、前進だと思う。それは、より多くの大人が、外国から来て、日本語が話せず読めぬ子どもたちに関われたから。この程度の支援で、飛躍的に学習能力が上がったというわけではないのだけれど、困っている児童たちが、世話をやく大人たちがいてくれたことに、気づいてくれていると思いたい。この後、彼らが本当に乗り越えなくてはならないほど苦しい時に、見守ってくれている人が日本にはいるのだと思ってくれれば、それだけでいいと思う。
 ブラジル人学校の教室やグランドは狭く、雨が降ると、子どもたちは狭い教室に閉じこもっているしかないのだそうだ。学校の教室やグランド・体育館の問題を日本の少子化によって余った教室や、市の所有するグランド・体育館などをシェアし、よりよい環境で勉強できるようにするのも大事なことだと思う(管理責任の問題が解決すれば、比較的早くできることだと思うけれど、結構難しいだろうなあ)。
 日本では、在日朝鮮人の学校に何も手を貸すことなく来てしまった過去がある。「なぜ、ブラジル人学校には支援するのか」という風にならないよう、「何が問題なのか、この状態がつづいたら、子どもたちはどうなっていくのだろう」と考える必要がある。
 子どもたちは見ている。この国の大人たちが、子どもの問題にどれほど関心があるかを。だからこそ、多くの人に関心を持ってもらいたい。
 

2005/12/16(金) 義務教育
 12月16日の中日新聞に「義務教育の外側で」という記事が載った。日系人児童の不就学問題についての記事だ。不就学とは、学校へ行ける年齢なのに、学校へ行っていないということ(未就学や不登校という言葉とは違う)。日本では、子どもに教育を受けさせる義務があり、そのために「義務教育」がある。ところが、この場合の子どもに、外国人の子どもははいらない。そのため、日本では、義務教育を受けたい外国籍の子どもを受け入れるが、義務の対象ではないので、積極的に就学を強く勧めるわけではない(でも、不就学の子がいる情報をつかむと、学校へ通うことをすすめることはやっています)。
 私の住んでいる市の統計では、市に登録されている義務教育の期間の子どもたちの約21パーセント(約300名。けれど、これは、市に登録されている子どもたちであって、実数はわかならない)が、不就学であるという。子どもは必ず学校へ行っているわけではなく、昼間からふらふら遊んでいる子どもを見ることもあまりめずらしくない。
 このことは、10年近く前からわかっていた。対応が遅れているのである。基礎学力がないため、成長後に進学・就労の困難があり、それを乗り越えれなった場合の最悪のパターンには、犯罪やエイズなどの病気の感染というコースもある。
 何年も前からこの問題に首を突っ込んでいたが、文化の違い、今の学校にはそのほかの問題がたくさんあって先生の手が足らない、子どもによって語学力に差がある、転校が多い……数えあげたら問題はきりがなく、それが遅々と前に進んでいかない要因になっている。
 それでも、高校進学、ブラジル人学校(以前よりも)充実、保護者やボランティアが手伝う補習など、まったく前進がないわけではない。けれど、まだまだ小さな動きで、もっとたくさんの市民が危機感を持って、この課題に目を向けなければならないと思う。

2005/12/13(火) 年賀状つくり
 仕事中、父から携帯に電話が入る。「年賀状を作りたい」という用件。この日は、雪の滅多に降らない地方なのに、雪が今にも降りそうな曇天。去年のデータを変更して印刷したいのだけれど、兄夫婦も孫からも忙しいと言われて、ちょっとふてくされていた。さすが、元公務員の父は、20日までに年賀状を出さないと気がすまない。午後からはなんとかなりそうだったので、昼、仕事を上がってそのまま、向かった。
 高速道路が混んでいるのか、道が少し混んでいる。カーナビくんもちゃんと動いていて、渋滞も大したことはないことが事前にわかる。そのうち、雪が降りはじめ、向かい風のせいか、車のフロントガラスに飛び込んでくるように降ってくるようになる。
 山と山が接近して高速道路と国道と電車がくっついて走っている区間。この区間は、雨が降りやすい。涙雨と雨は呼ばれているのなら、涙雪? 
 残念ながら、実家付近は雪が降っていない。まあ、もともと実家付近は、特に雪が降らない所からしょうがない。ほんの少しの地形の違いだけで、天気が違うのだ。昼食も取らず、苦手な雪の中に走ってきたのに、私の苦労はわかってもらえないのだ。
 年賀状作成の作業はすぐ終わり、父と母の話をそれぞれ聞いて、私は帰路についた。帰りは、渋滞がない海沿いの方の道を通って帰ることにした。海が見える峠からの下り道、もう、周りはすっかり暗くなっていた。ほんの一瞬、海辺の工場などの光が暗い海の向こうに見えて、ちょっといい感じの夜景となって広がっていた。

2005/12/03(土) ダルクの講演
 薬物依存の方の救済の会のダルクの代表の方の講演を聞きました。中学校の役員の仕事で原稿を頼まれていたので、そのあと、お話をなさった方から、もう一度話を伺うことができました。
 日本社会では、意外と寛容なアルコールの害のこと、何かの機会で手を出すことは若者にはよくあることだけど、その人の気質によって、やめられなくなってしまう人がいる(それも誰がそうなのかはそういう状況になってみないとわからないから)、だから、安易に手を出してはいけない話が印象的でした。
 お話をしてくださった方自身が、今は、やらずに済んでいる状態とのこと。ただ、それも何かの弾みにまた常用しだしてしまうこともある、だからこそ、「今日はやらないように」と努力する毎日なのだそうだ。
 私には、やめるべきこともないが、続けようと思っていることはある。が毎日続かない。だから毎日続ける…ということは、大変なことだということだけは、ものすごくわかる。
 「自分を大切にすること」「人と相談すること」口では簡単だけれど、死とギリギリ背中合わせの状態で、そう行動できるか、難しい。まわりの援助は必要だが、一番は自分が強く思うこと……これはいろんなことにつながる。私はどれほど強く思うことができるだろうか。


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