家主ケロケロぴーのあとから思い出し思い出しながらの日記です。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年11月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新の絵日記ダイジェスト
2006/05/15 バナナマフィン
2006/05/14 母の日
2006/05/08 さくらんぼがたくさん
2006/05/03 明日婿入りする子
2006/05/01 窓辺

直接移動: 20065 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 月 

2004/11/27(土) されど綱引き
 土曜、子ども会の綱引き大会でした。私は子ども会の役員で参加しました。
 他の競技と違って、綱引き大会は、一つの町内でチームが作れないほど子どもの集まりが悪いのですが、うちの町内は、昨年高学年女子の部は優勝しただけあって、高学年部の女子だけは、単独でチームが作れるほど参加者がいました(それでも、他の人数が少ない町内と合同でしたが)。人数が多かったせいか、毎回、くじ引きをして、相手チームと人数をあわせていました。子どもからは、「6年以外がくじをひいて、人数を減らした方がいいのではないか」とも言われました。小学生の高学年と言っても、4年と6年では、随分体の大きさが違います。確かに、子どもたちの言うとおりですが、「公平にするために、みんなでひくんだよ」と返事をしました。4年生だって、出たいですから。運悪く、音頭を取ってくれそうな子が、くじで外れることが続き、優勝をかけた対戦でも、そうなってしまいました。このとき、私の中で、『この子達を優先的に出した方が勝てるよな』とも思いましたが、やはり、ルールは、ルール。特例は作らないことにしました。
 最後の対戦の時、どうしても相手チームの子が、さっきからずっと、ルール違反をしていることが気になっていたらしく、私にそのことを言うので、私も、審判に、そのことを伝えました。そして、最後の綱をひくとき、やはり、ルール違反が起こりました。こちらの抗議を審判が受けてくれて、再試合。それから続けて勝ち、優勝できましたが、今度は相手チームからの抗議。始めは、子ども同士の言い合い、結局相手が納得してくれなかったので、再々試合です。今度は、6年中心で綱をひきました。今までくじで主戦力がない状態だったし、対戦相手に対する怒りの力もあってか、一気にひいて勝ちました。
 この様子を見ていた男の子たちは、「やっぱ、おんなはこえー(こわい)」
 綱引きの勝ち負けについてより、勝てるなら多少のルール違反を見逃すことを大人は許しちゃいけないと思っていたので、彼女たちの頑張りに少しホッとしたのでした。

2004/11/26(金)
 21日、娘ぴ〜ちゃんの東海大会が終わった。見ていただけの私は、ドッと疲れた。けれど、帰り際、一人の保護者の方の言葉が耳に残った。
「夢を子どもと見ることができました」

 実は、とある学校の校長先生から、
「小学生、夢が見れるよね。中学生なると見れなくなっちゃうから」
と、言われたことがあった。そのときは、親が子どもに対して、
「ああ、この子にすごい才能があるんじゃないかしら……」
そういう風に、思うことではないかと思った。
 でも、大会が終わったあと、ふと、思った。
 夢を見ることって、大人でもなかなかできない。子どもでも。それ以上に今の中学生は、限界ばかりで、夢なんて何も浮かばないじゃないかな……
 もしかしたら、夢って、将来のことじゃなくて、達成感みたいなものなんじゃないのかな。それが、大会に勝ち進んでいくといった具合にはっきり誰の目でもわかるような目標であれば、より、イメージしやすいもので、私たちは、夢は、将来しかないと思っていたのかもしれない、ホントは、そのあたりにゴロゴロ見つけることができるものなのに。
 そんなことを思いながら、どんな中学生でも、夢が見れるようになるといいなと思った。

2004/11/03(水) 街道をゆく
 司馬遼太郎の著書に、「街道をゆく」というシリーズがある。これは、各地の街道をまわった著者のその地の歴史または、歴史的遺物、または、今現在の風景が書かれている。
 私は、今まで日数をかけた旅行先、「中国・四川」「平戸・長崎」に書かれた話を読んだことがある。私なりに調べたり、回ったりしているのだが、司馬氏の書かれていることが、それぞれの旅の思い出をより鮮明にしてくれるし、新しい発見を見つけさせてくれる。
 日曜に読んだ雑誌で、43冊あるこのシリーズが、「濃尾参州記」が最後で、かつ未完だということを読んだ。このシリーズを読みながら、司馬氏なら、三河・尾張については、きっと、深く書かれているに違いない、あのことをもっと詳しく書いてあるのかな……と楽しみにしていた。しかし、私が一番楽しみにしていた、三河・尾張を書いた「濃尾参州記」は未完……嫌な予感が走った。
 予感はあたった。三河一向一揆のくだりは、「あとで詳しく…」と、さわりだけ。三方が原の所で記述は終わっており、『私はもっと読みたいのよ、この先が……』ああ、とても悲しい。
 きっかけの雑誌を読んだ朝、作家の宮城谷氏がこの地方の城址についての本を出した広告を読んだ。奇しくも、「濃尾参州記」の余話として、司馬氏と宮城谷氏が取材旅行中、会われたとのことが書かれていた。
 宮城谷先生、是非この地方のこと、たくさん書き残してください。消化不良を起こしそうですから、是非お早めにおねがいします。

 今日の写真は、近くの遊歩道に、もう、飛ぶ力がなくなってしまっていた蝶です。羽も破れているのに、飛ぼうと必死に羽ばたいていました。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.