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2019/01/02(水)
みなさまに幸せな毎日を
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明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 2019年 初春 お正月は娘夫婦と日近へ転居して以後恒例となった総社宮への初参りをしました。毎年破魔矢をいただくのですが、今年は幸運にも三本矢とお神酒の2等賞をいただくことができました。 「参拝者があちらこちらで今年は参拝者が多いなあ」と話し合っていましたが、わたしたちも例年より参拝者が多いと感じました。昨年は東京株式市場が大荒れとなり、株価は2万円を大きく割れこむ惨い相場となりましたが、不況感を国民の多くの方々が感じていることの現れだなと思えました。年末の株価は2万円をやっと回復したものの今年はどうなるかわかりませんし、おそらくアメリカもヨーロッパも、日本も、もちろん中国も景気は悪くなってゆくことでしょう。 しかし、日本におけるお宮とお寺の共生は不思議なものですが、いつしかお宮(神社)はお正月や婚礼、地鎮祭などの祭礼に、お寺は死者の弔いに特化してまったようです。仏教の導入は聖徳太子だと教えられましたが、火山国・日本の自然崇拝は確かに根強くあるのだと思います。わたしの若いころ岡山民主商工会の事務所ビルの「地鎮祭はしなくていい」と言うと、設計士と建築業者が「お金はこちらで持つからやらせてほしい。大工や左官をはじめ関係者が仕事をしてくれなくなる」と泣きつかれ、「ああ、建築関係者の神様に祈る心は大切にしなきゃ」と撤回したことを思いだします。母が牛神様をはじめ、さまざまな神様を家の中にお祭りしていましたが、この時、母の気持ちも思いだしました。神様、仏様を信じている方がいらっしゃる限り大切にしなきゃとそれ以後大切にしています。そして、仕事をしなくなって以後、痛切に思うことは、「祈ること以外に何もできない自分であること」です。自然の猛威をはじめ、大きな困難の前には祈る事しかできない弱弱しい自分であることにわたしは気づいてきたのでした。強がってはいても弱弱しいのが人間であると気づいたのです。人は弱いからこそ力を合わせて困難を乗り越えてきたのだと思います。 みなさまに幸せな毎日をお届けくださいますように!
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