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2019/01/13(日)
担任は歳森先生
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われわれが中学、高校の時代には成績の良い者を大きな紙に書いて張り出していた。成績の良い者はさらにがんばれ、掲示されなかった者はもう少し頑張って張り出されるようにしてくれとの願いが込められていたのであろう。但し、教職員の願い通りになったかどうかは不明ではあるが。人間って不思議なもので、なんとなく気になることがあるようだ。わたしの経験では岡田さんと言う1年先輩になる女性がそうであった。いつも掲示されている50番以内の上位にいた。10番前後ではなかったかと思う。トップではない。仲間が噂していた訳でもない。会った訳でもない。だから顔さえ知らない。それなのに「へ〜〜、すごいなあ」という記憶の中にあった人である。当時の操山高校の志望大学受験の目安は大方の検討として10番以内は東大、30番以内は京大、50番以内は阪大、岡大は150番以内で法科は100番か、と言われていた。そして、医学部はもう少し上かも、と。しかし、中学時代もそうであったようにわたしは一度も張り出されたことはない。わたしの成績の評判は最悪、最低であったようだ。しかし、教科書をキチンと学ぶということは大切なことである。例え、歴史の教えが後代で間違いであったと証明されたとしてもである。それはその時点での人知の到達点であったのであるから仕方のないことだと思える。わたしは2年生の最後の頃には2年生の1学期くらいまで追いついてきていた。しかし、よくよく考えてみれば、こんな回り道をしなくても日々の予習復習をキチンとやってさえいればこのようなめんどくさいことをしなくても良かったのではないかと今は思えてくるのである。さて、いずれにしても回り道をしながらわたしは3年生になった。担任は数学の歳森先生であった。
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