たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2018/09/03(月) 旭川で泳いでいた
さてわたしはどこで泳いでいたのか?妹尾では笹が瀬川の支流や用水及び舟溜まりであった。シジミ取りや魚釣りもこれらの川でやっていた。時には藻で堰を作って水を掻い出し魚を取った。石垣の間のドンコヤナマズも取ったし、フナなどもヤスで突いて取った。岡山ではもっぱら旭川であった。河口の福島では住吉さんのところであった。当時、飛び込み台もあった。ここでは2年ほどで泳ぎが禁止された。誰か知らない人ではあるが、飛び込み台から飛び込んで首の骨を折ったからだと聞いた。次は七日市、旭本町近辺である。対岸の平井の岸まで行っては帰るという競争である。その頃は京橋に船着き場があった。数多くのポンポン船が行き交う中をである。夏休みになってしばらくすると中学校の先輩たちがスイカを取ろうと言い始めた。牛窓からスイかを満載した船が上がってくる。恐そうな叔父さんが大きな竿を持って立っている。4,5名が組んでスイカを取ろうというのだ。2人ほどが叩かれ役でおとりになる。叔父さんがその2人に気を取られているうちに後の2,3人が船に上がってスイカを蹴落とすのだが、この船から蹴上がる時の足の力と腹の力が半端じゃなく必要になる。もちろん腕の力も必要だ。うかうかすると船は流れの逆に前進しているから足を始め体が船底に引き込まれて持って行かれる。スクリュウに巻き込まれると大変なことになる。こうしたことが2,3度やると分かってきた。こうして船から蹴落としたスイカは陸に上がってみんなで割って食べる。余るほどには蹴落とすことはなかった。ある日、同級生の兄がスクリュウに巻かれて亡くなった。その日、ちょうどわたしは家の用事で行かなかったが、・・・その訃報を聞いて胸が痛かった。以後、ここでの遊泳も禁止となった。次は清輝橋から網浜の間の泳いでの往復であった。網浜の岸は獣骨が散乱していた。朝鮮学校が建設される前の東古松を経験しているわたしは別に驚きはしなかったが、そうかと言ってあまり気持ちのいい物でもない。そのうち、京橋やその近辺でも泳ぐようになった。友だちは「おー、風船がある」と喜んでいたが、大人になってから思い出すと、これはあまりいい思い出ではない。いい思い出はといえば、当時は清輝橋には橋がなかったので渡し船であった。これはわたしにとっていい思い出である。


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