|
2018/09/29(土)
明日は明日の風が吹く
|
|
|
今日沖縄を襲っている遅くて強い台風24号が明日は西日本を襲うという。そして、日本列島を通過するというから心配だ。それはさておき、わたしが中学生になった頃から母が年に1,2度映画を観に行こうと言い始めた。わたしは母が27歳の時に出来た子供だからちょうど40〜43歳であっただと思われる。その当時、昭和32年〜35年頃の映画と言えば、石原裕次郎全盛であった。昭和31年に兄の石原慎太郎作品の映画化で無頼漢で遊び惚けていた裕次郎を心配した兄慎太郎が「太陽の季節」への出演を依頼し、脇役でデビュウした裕次郎は「狂った果実」で俳優として不動の地位を得たと言われている。翌32年は「幕末太陽伝」「鷲と鷹」「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」など、その次の年は「錆びたナイフ」「明日は明日の風が吹く」などそれ以後も数多の作品に主演する国民的大スターとなっていた。当時としては長身であった178cmのカッコイイ銀幕のタフガイでステキな彼にフアンは酔いしれた。彼が怪我と病気で苦しんだ生涯をおくったという内実などフアンは知る由もなかった。わたしたちは清輝橋にあった映画館(南座)に奥田西町から枝川沿いに大学病院の川沿いに歩いて行った。当時は大学病院の東側の川沿いには豚小屋があった。ちょうど道を迂回させるように建てられたいた。ここには戦後の混乱期の不法占拠という実態がが残されていた。一方、映画は戦後の自由を体現する文化の発展でもあった。映画はわたしを魅了したが、まだ一人で通える身分や自由は当時のわたしは許されていなかった。しかし、今でもお付き合いをさせていただいている岡田君(現在は北海道にいる同級生)の親父がこの南座の関係者であったので年に1,2度くらい内緒で見せていただいた。こうして始まった映画好きが高校生活で思わぬ人生航路を歩むことになろうとはこの時は思いもしなかったのだが・・・。
|
|
|