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2018/09/12(水)
いよいよ中学生に
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いよいよわたしは中学生になった。別に喜びとか、感慨ひとしおとかという感情は一切なかった。「ねばならない」というか、「当たり前」というか、やっと慣れた岡南小学校の延長という程度の認識であったが、後で振り返ってみるとこの岡輝中学校での3年間は特別な経験をさせていただいた学生生活であった。第一に、生涯を通じての友人が出来たことである。第二に、基礎が大切であり、その基礎の上に努力をすることが大切だいうことを学ばせていただいたことであった。聞くところによれば、岡輝中学校は火事で木造校舎が使えなくなり、数年前に鉄筋3階建てになったばかりであった。一階が一年生、二階が二年生、三階が三年生であり、建物は敷地の北側ほぼ一ぱいに建てられていた。コの字型の建物配置となっていて教室校舎の南に職員室その南が特別教室となっていた。現在もその配置は変わっていない。驚いたことは、3年生や、2年生という上級生が上から唾を吐いたり、物を投げることであった。うかうかとは窓から首を出せないのであった。また、清輝小学校から岡輝中へきた生徒たちは岡南小学校の生徒たちの2倍であった。1学年の生徒数はほぼ250数名であった。1年生の担任は国塩先生という国語を教える女先生であった。彼女がわたしに言ったことでわたしが今でも覚えているのは「あなたはバカじゃないのだから真面目に(勉強を)やんなさい」ということと、「放送部でしゃべれ」ということであった。一度であったか、数度であったか忘れたが、お知らせをしたことがある。その内容は忘れた。いずれにしても学校行事の案内ではなかったかと思われる。放送部の面々は成績の良い人たちであったから「何故俺が?」という違和感があった。中学校でも給食はなく、弁当持参であった。朝の市場での仕入れがあったせいであろうかむやみにお腹がすくのだ。弁当は一時間目が済むとさっさと平らげ、昼は家まで走って帰って食べて学校へ戻っていた。今考えるとこんなこと今では許されないことではなかったかと思う。
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