|
2018/08/30(木)
天照大皇神
|
|
|
吉田くん家の思い出をもう一、二挙げて置こう。彼の家は農家であった。戦後の農地改革で地主になったという。彼の家の前は広い農作業場であった。前には母屋と横には納屋とがあった。富田から奥田にかけては全面田んぼであった。ある時、竜巻が発声した。田んぼの中を南から北へとさまざまなものを巻き上げ、渦巻いて通り過ぎた。われらは茫然とそれを見つめていた。今のところ、生まれてから74年にして、初めてで最後の経験である。彼の家の近くには農家であるから当然であるが、わら黒が作られていた。彼を迎えに行くとどうしても少しばかり時間がかかる。彼だけではなく数名が集まらなければならないからであった。そこで秋から冬になるとどうしても口が寂しくなる。そこで市場でサツマイモを5個〜10個余分に仕入れをして、吉田くん家のわら黒からわらを抜いて、焼き芋をつくる。わたし一人ではなく、当然みんなにもわけるのだが、これが母親からこっぴどく叱られる原因となった。ある時、母親がものすごい剣幕でわたしを叱るのだ。最初は何が何やらよく分らなかったが、しばらくすると、事態が飲み込めた。−吉田くんの親がわが家に怒鳴り込んできたのだ。そして、「わら黒をケンチャンが燃やしてしまった。わら黒の代金を支払え」ということで母はそのわら黒代を支払わされたーということであった。事実であるから当然母には詫びたが、胸の内には釈然としない部分もあった。(俺だけじゃないじゃないか。みんなに焼き芋食わせたのに・・・)と。だが、わたしが主導したことは間違いのない事実である。だから、ごめんなさい、ごめんなさいと謝った。もう一つは、吉出家の母屋の玄関には「天照大皇神」の大きな掛け軸が掲げられていた。何だろう?ある日、思い切って聞いてみた。「叔父さん!テンテルダイオウジン」って何や?」叔父さんが答えて「お前はアマテラスオオミカミさまを知らんのか?罰当たりじゃのお。恐れ多くも天皇陛下のご先祖さまじゃ」と言って気を付けをした。「へ〜〜」と答えたものの当時は何にも分らなかった。何故気を付けをせんのだ」と言われたが、わたしは戦中生まれではあるが、戦後教育を受けている。従って、天照大神も天皇も尊い方だとの教えは受けなかった。ましてや、気を付けなど出来るはずがないではないか。
|
|
|