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2018/08/22(水)
岡南小学校へ転校
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転校して初めて登校した岡南小学校は妹尾小学校と同じく木造校舎だった。木造校舎に違和感はなかった。妹尾小学校も木造校舎だったのでこれが当時のわたしたちにとっては当たり前であった。周りには誰も知った者がいない。同じクラスではなかったが、皮手袋をこれ見よがしに手にはめた奴がわたしをにらみつけた。わたしはこれを無視した。転校したばかりで喧嘩というわけにもいくまいと自分を抑えた。そいつは近寄ってきて、わたしを皮手袋で押した。わたしは黙ったままでいた。「けんじよ。手をだすなよ」と自分に言い聞かせていた。誰かが「テツよ!」とそいつを呼んだ。「おお、こいつはテツというのか」と思った時、「オオ」と応えてテツはわたしの肩を押して離れていった。「やれやれ」とわたしは肩を落とした。そうはいっても緊張していた。1週間もすると友達は幾人かできた。一番最初の友達は上野君と言った。少し色黒の目が大きな子だった。それから杉野君、広瀬君などと友達になった。テツも近寄っては来たが彼に対してはわたしは中学時代も含めて何かの拍子にリベンジしそうなので”つかずはなれず”という付き合いをした。大人になってからもそうであった。当時、岡南小学校ではベーゴマが流行っていた。休み時間になると、机を前に集めて、教室の後ろに広い場所を拵えてそこにバケツを置き、その上に四角いゴム(ソフトボールのベースのようなもの)を敷いて、その上でベーゴマを闘わせて相手のベーゴマをはじき出した方が勝ちである。もちろん勝ったら相手のベーゴマをいただくのであるが、ある時、テツもやってきた。相変わらず偉そうな態度であるから、負けるわけにはいかない。少し勝っては少し負ける。一度には勝たない。だが、結果は勝つことになった。放課後も勝負だと言ったが、「いや、俺は帰るぜ」と言って相手にしなかったが、かわいそうなので少しだけベーゴマを返してやった。悔しそうにしてはいたが、それ以後、わたしには尊大な態度、及び喧嘩腰の態度はとらなくなった。杉野君は中学になると転校した。親父が刑務官であった。二日市の刑務所の周りでは広瀬君と3人でよく遊んだ。転居先の奥田でもしばらくして1級下の吉田君と友達になった。そして、母は奥田で八百屋を始めた。
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