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2018/05/04(金)
逆立ち事件
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隣町は”峰”というところでした。ここにも同級生や上級生がいました。親たちが仲が良くないのでしょう。ずっと昔から水争いなどがあったからかも知れません。近所の親の受け売りでしょうが、われわれは”峰の奴らが”と彼らを呼んでいました。彼らも多分仲間内では”藤野の奴らが”と呼び捨てていたに違いありません。根性のねじれた了見の狭い部落意識といさかいが字の違う部落同士で常に存在していました。パッチンにしても、釘倒しにしても、三輪車の坂下りにしても、凧揚げや石投げなどありとあらゆることが”あいつらに負けてなるか”ということになってしまうのでした。字が違えば”よそ者”という古来から日本に根付く郷土主義がそうさせていたのでした。ある時のことです。峰の岡やんが逆立ちをして見せました。すると峰の仲間4人が一緒に逆立ちしました。こちらは3人でしたが二人はすぐに逆立ちをして返しましたが、わたしは逆立ちが出来ませんでした。藤野町の二人が{やれ}というのでわたしも逆立ちをやろうとしますが、バッタリと裏返ってしまいます。恥ずかしいやら悔しいやら顔は真っ赤になっています。しばらく経ってからターランが宣言しました。「来月の3日にもう一度ここで逆立ち大会をやろう!藤野町は6人だ。峰も6人そ揃えて来い。いいな!」と。”えッ!なんで?”と思いましたが、もう後戻りはできません。それから1カ月間は毎日毎日逆立ち尽くしでした。しかし、最初はなかなかコツがつかめませんでしたが、そのうちコツがつかめてきました。すると、逆立ちで歩くこともバック転も出来るようになりました。逆立ち試合の日は峰の6人と藤野町の6人は逆立ち歩きの距離も時間もほぼ互角の出来となり、わたしが出来た時には峰の岡やんが手を叩いて誉めてくれました。その時、峰の数人が顔をしかめました。もちろん岡やんに対してです。”なぜ、岡やんは藤野の奴を誉めるのか”と彼らは思ったのでしょう。でも、それ以後わたしは岡やんと二人きりの時は仲のいい友達になりました。こうした思い出はいっぱいあるのですが、{いぼいぼ飛んでいけなすびのヘタ事件」や「南京事件」「小便事件}もなかなか忘れ難い思い出です。
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