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2018/04/09(月)
記憶の糸を紡ぐと・・・
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わたしの幼少期の記憶はこのように少ないものの日本の歴史は大転換・大激動の時代でありました。わたしは0歳〜1歳時代は空襲下を逃げ回っていました。この頃、神風特攻隊が出陣します。しかし、米軍はサイパン島より本土爆撃をおこない、B29による空襲を本格化させていきました。1歳〜2歳時代のわたしは岡山、隠岐・知夫里島、境港、また岡山へと居所転々としましたが、この間、日本は空襲、原爆投下、ポツダム宣言の受諾、連合国総司令部の設置とマッカーサー来日、占領下での新選挙法の公布、財閥解体、第一次農地改革の指令、「アカハタ」の再刊、ヤルタ会談、ポツダム会談と目まぐるしく変遷していきました。2歳から小5までのわたしは両親の庇護の下に妹尾での暮らしは貧しいながらも落ち着いた暮らしでしたが、世の中は、天皇の人間宣言、極東軍事裁判、戦争の放棄を誓った日本国憲法の公布、第二次農地改革、教育基本法・学校教育法の公布(6・3制の教育実施)、松川事件、下山事件、三鷹事件、南北朝鮮分離独立、中華人民共和国成立などと激動の時代でもありました。そして、ソ連、中国、北朝鮮などの台頭を恐れたアメリカを中心とする連合国との間の緊張状態が続きます。こうした状況を背景に日本ではレッド・パージの開始、警察予備隊の設置、公職追放の解除(安倍総理の祖父岸信介氏も戦犯判決を逃れることになった)、そして1950(S25)年6.25日の朝鮮戦争の開始となります。朝鮮戦争も世界の覇権を争う米ソの戦いへと変貌していきます。今、思えば、朝鮮戦争の思い出が二つあります。一つは双胴のロッキード、今一つは腰にぶら下げた磁石でした。
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