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2018/04/07(土)
博打は友人を失う結果に
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わたしはパッタを使った博打に次第に熟練していった。わたしはわたしに幾つかのルールを課した。まず、相手をよくみることを第一とした。第二は、自分の手持ちの札が悪い数字の時はもう一枚引く。しかし、それでも五とか六とかより下の数字の時には賭けの枚数を少なくして賭けそのものを投げる。第三に七は悩むが(泣きと言われる由縁でもあろう)、八(オイチョ)とか、九(カブ)の時は勝負に出る。これは誰でもが同じ気持ちで勝負に出るであろう。その時、相手をよく見ていると、五より下の時にはしょげる雰囲気、六、七の時は悩む雰囲気、八や九の時には勝負に出るぞとの雰囲気が伝わってくるようになるのだ。指を動かす奴、鼻がひくひく動く奴、眉間に皺が寄る奴など特徴は人それぞれ、さまざまではあるが、わかってくるのだ。だからわたしはどんな時にもポーカーフェイスを貫く。すると、七(泣き)でも泣かないで済むのだ。オイチョやカブの時には「お前は勝てるぞ」と勝負を誘うのだ。すると、相手は勝てると踏んで賭けの枚数を増やしてくる。こうしてわたしは小学校3年生の頃には餅の代わりにパッタをぎっしり詰め込んだモロブタが幾十枚も出来上がった。弟が黙ってもちだしては負けて帰った。しかると母は「あんたはあ兄ちゃんでしょ。あんなにたくさんあるんだからええじゃろう」とわたしを叱った。わたしは内心面白くなかった。しかし、この博打の成果は思わぬ形でわたしに跳ね返ってきたのだった。担任の男先生から呼び出しを受けて注意をされた。でも、悪いとは思わなかった。ある時、鬼ごっこをしていた時に気が付くとみんながグルになってわたしだけを鬼にしたてていたことに気がついた。わたしは激怒して一人の友人を叩いたが、逃げ出したので家まで追いかけて行った。おばあさんの後ろに隠れても許さなかった。しかし・・・・・どうして・・・・・?「なぜみんながグルになってわたしをいじめたのか?いや、いじめたというよりも博打の被害者同盟を結成して、一致結束してわたしの一人勝ちに対抗したと言う方が正しいのであろう」わたしは博打が友達を無くすということをこの事件から学んだ。以後、わたしは自然と博打はやらなくなった。
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