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2018/04/05(木)
父のビンタ
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ある日のこと。わたしが先輩と賭け勝負をして負けてしまい、喧嘩になり、泣いて帰ったことがあった。当時、わたしたちはパッタと言っていたが、いわゆる関東ではメンコといわれていたやつである。表には川上哲治さんなどの野球選手の写真などが載っていて、裏には説明書きと一番下にナンバー数字が書いてあった。最初は相手のパッタをひっくり返して勝負を決めていた。そのうち、パッタの裏のその最後の数字で勝ち負けを決める博打がおこなわれるようになった。パッタを裏返して開ける前にはもう一枚引くことが出来るという大人の博打のルールと同じだ。一はインケツ、五はゴケ、八はオイチョだのと大人の受け売りをして勝負をしていたのだ。一体誰が持ち込んだのかはわからないが、五寸釘を使って遊ぶ釘倒しと一緒に流行ッていた。わたしはこのことから実に多くのことを学んだ。まず第1にわたしはそのことにのめり込む性質があるということだ。第2に相手をよく見ると言うこと。そして、第3に友人を失うということだった。その日は最初の勝負だった。わたしが持っていたパッタ数十枚を勝負に負けたのだから当然巻き上げられた。悔しくて悔しくて「ひどいじゃないか。返せ!」と言ってむしゃぶりついたが、3歳年上の先輩に突き倒された。悔しくて、悔しくて泣いて帰った。その時、父が家にいた。「男が泣くな!」と言って、ビンタを喰らい、縁側の沓脱石に投げつけられた。今度は父が怖くて怖くて縁側に置いてあったミシンの下に逃げ込んで泣いていた。しかし、誰も助けには来なかった。自分の身は自分で守る以外には方法はないのだ、と知った最初の日であった。父は戦後船乗りに復活していたようだが、いつからなのかはわたしにはわからないことであった。わたしの記憶の中では父が長期に家で暮らしていたことが2.3度ある。その際の父は怖かった。父がいる時はわたしは毎日駅まで新聞を買いに行かされた。その時にはよく母が駅近くにあった醤油屋に寄って醤油を買って来いと言われたものだった。
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