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2018/04/03(火)
真っ白なウサギ
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わたしはわたしをいつから自覚したのであろう?思い返してみると小さい頃は記憶にないところの方が多いのですが、小学生になる前の記憶は三つです。一つは家から遠い方の畑で母が畑仕事をしていました。わたしは木に繋がれていました。少しばかり自由に動けるように縄で結わえられ木に繋がれていたのです。まるで犬のようです。この様子を想い出すといつもアメリカと日本のようではないかと思うのです。少しばかりの自由を得て、這いまわっているが、いつでもアメリカが縄を引っ張ると手繰り寄せられ、鞭で打たれて、言うことを聞かされる関係性と同じではないか、と。トランプ大統領が日本人や安倍総理のことを「日本の連中は薄ら笑いを浮かべて近寄ってきて利益を得てきたがそんな関係はもう終わりだ」と言いました。ということは、「お前の国はお前で護れ。出来ないのなら金と命を差し出せ。自衛隊はアメリカのために戦争させろ。取引もお前だけが儲けるのは許さんぞ」ということです。「ならば!」とわたしは思うのです。「アメリカ軍の基地は撤去しろよ。日本はどこの国とも戦争はしない国として生き抜いて見せる」と。「そんなバカなことが出来るものか}とお思いの方も多いかと思いますが、それでは「あなたはまたあの誰も責任を取らない悲惨な戦争をするのですか」とわたしは反論したいと思います。フィリピンでさえ基地撤去をさせたのですから、できないはずはありません。しかし、母に対しても誰に対しても木に繋がれた自分のことを口にしたことはありません。今、初めて文字にしました。こうして、少しばかり自由の利く縄で木に繋がれたわたしが見たものは「ウサギ」でした。真っ白なウサギが鍬を持つ母の後ろにひょこっと出てきたのです。ピンと立った耳に赤い目。一瞬、キョロっと見回します。わたしが追いかけようとしますが、縄に縛られています。その動きを察したウサギはたちまちいなくなりました。
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